僕は全世界を抱きしめるだろうに!

弱点に負けて自己を責めるようなベートーヴェンではなかった。

ヴェーゲラーは言っている、彼が知る限りにおいてベートーヴェンは絶え間なく恋愛の熱情に掴まれていた、と。
これらの恋愛は常に極めて純潔なものであったようです。純潔の恋愛といっても、取り違えないで欲しい。情熱と逸楽との間には何の関係もない。モーツァルトが『ドン・ジョヴァンニ』を書いた時、ベートーヴェンは『天才を濫用した』といって赦さなかったそうだ。

そんな人だったから、恋に落ちた時のベートーヴェンは厄介なのだ。彼の親友だったシンドラーは『彼は一種の処女的なハニカミを持って生涯を過ごし、弱点に負けて自己を責めるような羽目に陥ることはなかった』と解説している。時を重ね、ベートーヴェンの天性の激しさがやがて憂鬱を帯びた諦めの静かさに行き着く年齢に達する時までは、ボッティチェリの描いた『聖家族』の中の、幼児(バンビーノ)キリストの目の輝きを持っていた。

ざくろの聖母

モーツァルトが喜ばれる今日の人々と比べれば、稀有なものがベートーヴェンの魂の中にはあった。そう言う彼の音楽にこそ、誰しも同じ気持を感じるでしょう。時代も国も価値観も違うのに、ベートーヴェンの感じたものに夢中になれる。こうした感動の共有が彼の音楽の最も特徴的なところ。

ベートーヴェンの耳の病は、話が聞き取れないで筆談をしてる相手の後ろでピアノを弾いていた弟子に、「そこはおかしい」と注意したと言います。対話をしようとしていた相手は気分を害したことでしょう。また、ピアノに噛み付いて音を聞いていたと言うから居合わせた人はとんでもないのを見てしまったと怖がったことでしょう。(耳硬化症)

《ヴァイオリン・ソナタ》第5番と第6番の間には、かの《月光ソナタ》作品27が作曲されます。この《月光ソナタ》は“不滅の恋人”に捧げています。『僕の生活は今までよりも優しみのあるものになった』とヴェーゲラーに手紙で打ち明けています。そして『僕はいっそう人々に馴染むようになった』とも書いていますが、病身の惨めさと、不安定な生活状態に痛感している。この恋心とそれへの誇らしい反抗との交互作用の中で、ベートーベンは霊感の源泉を見い出して喜びにあふれた、生き生きとした曲をこの時期には作曲しています。

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