熊本地震は断層がずれた大震災。道路や自宅の床下が地割れ、マンホールは周りに亀裂が出来て膨らみ。橋は道路との境界に段差ができて通行困難になり。
そんな割れた地面から多くの花が咲いているのを見つけて、色鮮やかさに癒やされて、自然の回復しようとする力強さを感じていたら。
そんな美しさだけでなく、現在も玄関から思うように出入り出来ないので避難所生活ですが、夜、避難所のトイレにぞろぞろゲジゲジのような日頃見かけない虫が出てくるようになったと感じていたら、朝になって明るくなったら、寝ている脇に巨大なムカデが居て大騒動しました。
地中深くから出てきたのでしょう。トカゲや蛇も大きな個体を見かけるようになりました。これもまた自然の為すことですね。
ベートーヴェン作曲、田園交響曲
水の流れや、小鳥たちの鳴き声、嵐が来て雨が振り、農地が潤い農民たちが嬉しそうにダンスを踊る。今回のきらクラDONは、田園交響曲。ベートーヴェン作曲、交響曲第6番ヘ長調の第1楽章冒頭ですね。
この曲は『運命』と双子で、序奏がなく、いきなり印象的な主題で開始される。ベルリオーズやリストを先駆けた、標題音楽の扉を開いた曲ですが、田園の生活を、そのまま描写したのではなくて、その田園で出会った自然や人々との交流で変化する主人公の心境を描写しています。以前に話しのあった、ケテルビーの「ペルシャの市場にて」の作曲動機とは違うところです。
宮沢賢治の名作、セロ弾きのゴーシュでゴーシュが映画館で、オーケストラと演奏するというのが有る。昔は映画館には、クラシックを演奏できるオーケストラが居ました。サティの音楽はそういう場所で演奏されたんでしたね。
演奏の解釈は指揮者に任せて、千の聞き方で名曲を享受しよう。
電化の発展で、映画館にオーケストラが必要なくなって。家庭にテレビが当たり前になって。自然との関わり方も変わってしまった、と思い驕っていたのは人間だけだったのかもしれないです。
避難所にテレビはなく、ラジオも地震が起こった時にニュースを確認するぐらい。情報は朝、夕届く新聞や、掲示板の張り紙を見逃さないように心がけることが大事で。浴びるように聞いていた音楽を絶たれて、やがて、ふた月が避難所で過ぎました。午後10時の消灯前だけ、静かなプライヴェートな時間になるので目を閉じて、頭の中で名曲を忘れないように思い起こすようにしています。