アルビノーニの楽譜は完全でなく、数葉の断片を元にジャゾットが補作したようにLPレコードの解説には当然のごとく説明されている。バロック音楽の代表曲として《パッヘルベルのカノン》と共に、レコードは大ヒットしていく一方で真相も解き明かされていく。エラートレーベルの協奏曲やソナタと組み合わせたレコードが学級肌の興味を煽った。
熊本地震を体験して、音楽の受け止め方が変容した。ベートーヴェンの田園には自然を畏敬して、受け入れ人生の謳歌に転ずることに気づいた喜びが有る。
熊本地震は断層がずれた大震災。じっくり音楽を聞く機会のないまま避難所で2か月を迎えようとしています。これが今後、名曲の捉え方を変容しそうです。演奏の解釈は指揮者に任せて、千の聞き方で良い。ベートーヴェンは川のせせらぎ、鳥のさえずりが聞こえなくなっても、雷雨に抗うこと無く共生している農夫の姿に希望の光を気付かされた、と。
創る物と奏でるもの。絆のために根気よく。6年間かけてヴァイオリニストの助言に忠実に。 ー メンデルスゾーンの姓は、メンデルスゾーン=バルトルディ
たった一小節の弦楽器の分散和音ののち、直ちに独奏ヴァイオリンが悲しげな笑みをたたえた優雅な主題を歌い出す。ヴァイオリン協奏曲は6年の歳月をかけて慎重に作曲が進められました。
熊本地震。今感じていることは、被害の大小の分布は、その地名に左右されたな、ということです。生活している地名の由来を今あらためて関心をもつべきです。
君と歩いた青春。作曲家存命中から愛好されていたメロディー ー 著作権を主張しなかった作曲家は友達に恵まれて大作曲家として今でも愛されている。
友達100人作ること。希望を胸にはじめてのクラシックに良いのがNHKラジオ放送「音楽の泉」の主題曲としてもおなじみ。『楽興の時 第3番』は、シューベルトの存命中から愛好され「エール・リュス」として有名でしたが現代では日常沙汰の著作権には無頓着。死後数多くの作品が残ったのは友人たちが熱心に楽譜を出版してくれた賜物でした。
曲名に交響曲とあるのに、なぜ、ヴァイオリン協奏曲のジャンルに有るんですか ー CDショップのクラシック・コーナーで不思議を見つけよう。
第一に疑問を持つことが理解を深めます。ラロがなぜ協奏曲に『スペイン交響曲』と題名をつけたのかは詳らかにしないが、形式としては協奏曲と組曲の雑種のように思われる。なお、初演の際サラサーテが第3楽章『インテルメッツォ』を省略して演奏したため、それが久しく伝統となっていた。近年はオミットせず全曲を演奏する風潮が高まっている。
名曲《マドンナの宝石》が教えてくれる、クラシック音楽の聞き方の秘訣とは ー 天は二物を与えずこそ、哀愁に満ちたメロディーに感動するのは日本人も同じ。
近づかなければ無価値だが、無尽蔵に有る魅力的な名曲。音楽を、ただぼんやりと聴いているだけではダメなのです。まず、しっかりメロディーを聴く。次に一番低い音を聴く。低音の旋律に耳を澄ませば、高音まで多層的に聴く鍛錬になります。様々な楽器の音色の絡みあいや、ダイナミックな音楽は情操を育てますが、室内楽曲を数々聴いている程に音楽を思考する力がつきます。
「いつか、どこかで聴いたクラシック音楽」。その代表的な名作《ペルシャの市場にて》〜エキゾティックな風景から聞こえる懐かしく美しいメロディー。
エキゾティックで懐かしい旋律。ケテルビーは《ペルシャの市場にて》を作曲するにあたってペルシャの音楽を取材しているわけでもなく、現場で演奏家に支持して曲作りしたものと思われます。しかし、オリエンタリズムに基づいた異国趣味的な作品を多く遺しており、日本の国歌「君が代」をモチーフとして用いた《日本の屏風から》も楽しいですよ。
NHK-FM「きらクラ」で、ちょっとした未来予測を楽しんだ。
第163回のきらクラDONはフランツ・リスト作曲、超絶技巧練習曲から「マゼッパ」の冒頭でしょうか。直感的に感じたのが「フランス風の曲だな。バロック音楽でチェンバロの曲をピアノで演奏したのだろうか。」しかし、同時にショパンの姿がちらついたのです。なるほど、この曲はフランスで披露するために作曲されている。
バレンタインで結ばれたカップルたちへ、祝う音楽『金婚式』
愛し愛され、目指す先には《金婚式》。スイートなタイトルだけど曲はロマンティックだけれども、甘すぎず、ドラマティックすぎず。50年間の間に酸いも甘いも一通り味わった夫婦の手元に残ったものは何なのか、そんなことを教えてくれる気がします。クライスラーの『愛の悲しみ』も悲痛な重々しさではなく『悲哀』が相応しいと思いませんか。