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古い形式の縛りを雷光で打ち砕く若い才能 ショパンのバラード&エチュード アシュケナージで聴く | Classical Notes

古い形式の縛りを雷光で打ち砕く若い才能 ショパンのバラード&エチュード アシュケナージで聴く

通販レコードのご案内難しいパッセージも軽々と弾きこなして難しく感じさせないナチュラルな演奏。

GB LON CS6422 アシュケナージ ショパン:バラード&エチュード《英ナローバンド ED4相当盤》GB LONDON CS6422 アシュケナージ ショパン:バラード&エチュード 1つ1つの作品に全精力を注いで、それらの作品からその魅力を最大限に引き出そうとする姿勢がデッカ経営陣の心を打ったと聞いているピアニスト、ウラディーミル・アシュケナージ。アシュケナージは圧倒的に広いレパートリーを持ち、英デッカ社の財力を背景に完結させた全集企画の数では古今東西のピアニストの中では群を抜いている。
 1965年発売ですから、まだ20歳代のころの録音。アシュケナージらしく、難しいパッセージも軽々と弾きこなして難しく感じさせないナチュラルな演奏です。デッカSXL6143相当盤、英国プレスです。
ステレオはロンドン
ステレオ録音黎明期(れいめいき)1958年から、FFSS ( Full Frequency Stereo Sound )と呼ばれる先進技術を武器にアナログ盤時代の高音質録音の代名詞的存在として君臨しつづけた英国 DECCA レーベル。レコードのステレオ録音は、英国 DECCA が先頭を走っていた。1958年より始まったステレオ・レコードのカッティングは、世界初のハーフ・スピードカッティング。この技術は1968年ノイマン SX-68 を導入するまで続けられた。英 DECCA は、1941年頃に開発した高音質録音 ffrr の技術を用いて、1945年には高音質 SPレコードを、1949年には高音質 LPレコードを発表した。その高音質の素晴らしさはあっという間に、オーディオ・マニアや音楽愛好家を虜にしてしまった。
 その後、1950年頃から、欧米ではテープによるステレオ録音熱が高まり、英 DECCA は LP・EP にて一本溝のステレオレコードを制作、発売するプロジェクトをエンジニア、アーサー・ハディーが1952年頃から立ち上げ、1953年にはロイ・ウォーレスがディスク・カッターを使った同社初のステレオ実験録音をマントヴァーニ楽団のレコーディングで試み、1954年にはテープによるステレオの実用化試験録音を開始。この時にスタジオにセッティングされたのが、エルネスト・アンセルメ指揮、スイス・ロマンド管弦楽団の演奏によるリムスキー=コルサコフの交響曲第2番「アンタール」。その第1楽章のリハーサルにてステレオの試験録音を行う。アンセルメがそのプレイバックを聞き、「文句なし。まるで自分が指揮台に立っているようだ。」の一声で、5月13日の実用化試験録音の開始が決定する。この日から行われた同ホールでの録音セッションは、最低でも LP 3枚分の録音が同月28日まで続いた。
 そしてついに1958年7月に、同社初のステレオレコードを発売。その際に、高音質ステレオ録音レコードのネーミングとして ffss( Full Frequency Stereophonic Sound )が使われた。以来、数多くの優秀なステレオ録音のレコードを発売し、「ステレオはロンドン」というイメージを決定づけた。
 アメリカの評論家ハロルド・チャールズ・ショーンバーグは、ニューヨーク・タイムズで長年活躍した高名な音楽評論家。日本でも「ピアノ音楽の巨匠たち」をはじめ著書が翻訳されているが、当時次々と西欧に紹介されたソ連のピアニストの中で、アシュケナージを特に高く評価し、彼はギレリスの確実さと、リヒテルの想像力を併せ持った詩的ピアニストだといっていたところに、アシュケナージの音楽的な本質を巧みに要約した、ニューゲイト・キャレンダーの筆名で同紙上で覆面ミステリ批評家としても活動していた彼ならではの評言だといえよう。
 バッハからロマン派、近代に及ぶこれらのレパートリーで目立つことは、アシュケナージは本当の意味での現代的なピアニズムを先天的に身に着けているということである。彼のメカニックは巧緻だが、その技巧に支えられた詩的表現は、フレージングとダイナミズムの幅広いニュアンスに独特のものを見せている。名手を数多く輩出したロシアのピアニストの伝統と西欧的なスタイルが、彼の中に見事なバランスを持って融合されているのである。
 彼を単に感受性に富んだピアノの詩人と見なすことは出来ない。アントン・ルービンシュタイン以来、セルゲイ・ラフマニノフ、ヨゼフ・ホフマン、ヨーゼフ・レヴィン、ウラディミール・ホロヴィッツ、スヴァトスラフ・リヒテル、エミール・ギレリスなどピアノ史上に不朽の名声を残した大演奏家を生んだロシアの伝統が、アシュケナージによって更に新しい面を見せてくれたといえよう。
 アシュケナージが20歳代に録音した本盤は、彼が世界的なピアニストとして名声を確立したころのもので、そのフレッシュな若々しさが「バラード」「3つのエチュード」で伺えます。フレッシュな若々しさを前面に発揮した意欲的な演奏を繰り広げている。
 19世紀の作曲家の多くが触発されたバラードでも、アシュケナージ曰く、「ピアノではオクターブ、 連打の技術が最も難しい」。バラードのドラマ性よりも、抒情性に重きを置いた、ショパン演奏の現代のスタンダードと呼べる真摯で真面目な演奏スタイルによる正統派の演奏です。ピアノは流麗。その持ち味である温かく輝かしい音色、繊細で細やかな歌心で、作品の隅々まで神経の行き届いた極めてバランスがよく質の高い演奏を聴かせてくれます。この時期だからこそ表現しえた稀代の演奏と言えるだろう。

1964年7月ロンドン、デッカ第3スタジオでの録音。Engineer – Arthur Bannister, Gordon Parry. Producer – John Culshaw. 優秀録音、名演奏

通販レコード詳細・コンディション、価格

プロダクト

レコード番号
CS6422
作曲家
フレデリック・ショパン
演奏者
ウラディーミル・アシュケナージ
録音種別
STEREO

販売レコードのカバー、レーベル写真

GB LON CS6422 アシュケナージ ショパン:バラード&エチ…
GB LON CS6422 アシュケナージ ショパン:バラード&エチ…

NARROW BAND ED4相当, STEREO 1枚組(130g),Stamper 14A/10A。

コンディション

ジャケット状態
EX
レコード状態
EX++
製盤国
GB(イギリス)盤

通販レコード

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オーダーは品番 / 34-25447
販売価格2,750円(税込)

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 ショパンは《平均律クラヴィア曲集》の20曲ほどを暗譜で弾くことができ、公開演奏会を開くときにはリハーサルの腕鳴らしには、自作を弾かず、ひたすらバッハを弾いて彼を創作に導いた霊感の源泉である和声の響きや対位法的な要素を確認した。
 ショパンは様々な形式、美しい旋律、半音階的和声法などによってピアノの表現様式を大幅に拡大し、後のピアノ音楽に大きな影響を与えました。ショパンは「練習曲(エチュード)」と名のつく作品を27曲残しています。ショパンのエチュードはツェルニーの練習曲とは異なり、曲順と難易度は全く関係がなく、そのルーツはバッハの「平均律クラヴィーア曲集」となる。
 バッハの「平均律クラヴィーア曲集」はハ長調 ― ハ短調から始まって半音ずつ上がっていく配列を取っていますが、ショパンの「前奏曲集 作品28」はハ長調 ― イ短調から始まって5度ずつ上がる配列であり、この調性関係が、様々な雰囲気の24曲から成り立つこの曲集に存在する不思議な統一感の源泉となっている。
 ピアノ学習者には教材でありながら、大ピアニストがコンサートにこれだけをプログラムのメインにするほど、これらの練習曲集は、ピアノ音楽史上の金字塔として燦然と光り輝いているのは周知の通りで、この後、リスト、ドビュッシー、ラフマニノフ、スクリャービン等が、12という曲数にこだわった、芸術的な練習曲集を書いています。
ショパンを深堀り
 アニメ「クラシカロイド」でリストのピアノ作品の名曲・愛の夢、ラ・カンパネラ、ハンガリー狂詩曲第2番はそれぞれ、ベートーヴェン、モーツァルト、シューベルトのピアノ作品に呼応していて、メフィスト・ワルツがショパンを対象にしていると描かれていた。このようなヴィルトゥオーゾが、旧来の枠組みをはずし、主体的な表現で人間らしさを取り戻そうとする新たな思潮の、演奏面での象徴的な存在になったことは納得できる。その思潮は、ブルジョワ社会の台頭と自由な空気のなかで、それまでの古典主義から脱却しつつあった。
 リストはショパンの死後に出版した著書『ショパン』の中に、ショパンのパリ到着直後に、文学と音楽の分野に新たな流派が形成されたという見解を示し、古い形式の縛りを雷光で打ち砕く若い才能が現れたのだ。 と書いている。そうした、フランスのロマン主義の激しい傾向には、ドイツでロマン主義的な音楽を書いていたシューマンですら次第に懐疑的になっていった。
 また、大正11年11月5日に日本で出版されたショパンの伝記の記念すべき第一号『ショパンの生涯』で、ポーランドとパリに分けて、その人間像に迫ったジェームス・ハネカーは、ショパンがロマン主義の運動を心から支持しなかったのは、その突飛さ、馬鹿げた熱狂、激動、保守的なもの(教会や国家など)に対する攻撃のゆえであるとする。
 ポーランドは1815年のウィーン会議の結果、ロシア、プロシア、オーストリアに分割支配されたが、限定的な自治が許されたロシア支配地区の首府ワルシャワでは文化が発展した。ポーランドのロマン主義は、ポーランド文化の進化における文学的、芸術的、知的な時代であり、1822年には詩人のアダム・ベルナルト・ミツキェーヴィチ(1798〜1855)の最初の詩の出版と同時に始まり、トマシュ・ザン(1796〜1855)、ユゼフ・ボフダン・ザレスキ(1802〜1886)、ステファン・ヴィトフィツキ(1801〜1847)がそれぞれポーランドの歴史的な物語や民話によるバラードを発表すると、それは爆発的な流行を呼んだ。
 ポーランドにおけるロマン主義は、この「バラードの年」に始まるとされる。ショパンはポーランドが背負う悲劇の歴史と国民的感情で、同国人の詩人らと結ばれていた。ショパンはサロンの交流で、新奇なものに惹かれる世情とロマン主義の流行を認識しながらも、ロマン主義とは常に距離を置き、無関心なように見えたという。リストは、それがショパンの性格に帰するものとみていた。スキャンダルに関わることを避け、他人の欲望を侵害したり精神を強いたりすることもなく、ショパンは全ての束縛から逃れたのだとリストは考えていたが、そもそもショパンは、ロマン主義という言葉を好意的には用いない。すでに1826年6月20日付の手紙に、ウェーバーの歌劇《魔弾の射手》について、「ドイツ的な性格、例の妙なロマン主義」と書いている。1828年にベルリンに旅行した際にも、何事にも常に感動して高揚する女性を、「ロマンティック人形」と揶揄している。ショパンはベルリオーズとも交友関係を持ったが、作品の過激な傾向を嫌っていた。彼は弟子のアドルフ・グートマンに「五線紙上にペンを振って偶然できたインクのシミを音符にしたもの、それがベルリオーズの音楽だ」と語ったほどであった。
 斯くもショパンはロマン主義の潮流から意図的に身を遠ざけてはいたが、祖国の知識人との交流を通して呼び覚まさされた国民的感情は、彼を創作に突き動かさずにおかなかった。その現れとして、ショパンの作品の激情的な箇所には、ときおり悲憤の念を感じることがある。それがロマン主義を自認するパリの芸術家達の心を捉えたとすれば、無意識にせよ、ショパンはポーランドのロマン主義と結ばれていたことになるが、ショパンは音楽が言語に束縛されることを避けた。
 ロンドンの楽譜出版商のウェッセルが《バラード第1番 Op.23》《バラード第2番 Op.38》を出版する時に、それぞれ「瞑想」「優美な女」という標題を付けて出版したとき、ショパンは友人のフォンタナに宛てた手紙でこれに激怒している。フランス・ロマン主義の偉大なる巨匠ウジェーヌ・ドラクロワはノアンのジョルジュ・サンドの別荘を訪ねてショパンと語り合い、「音楽で論理的なものは和声と対位法である」「フーガに精通することは音楽の道理と一貫性を知ることに等しい」というショパンの言葉を書き留めている。そしてショパンはドラクロワに、「モーツァルトの音楽の声部はそれぞれが独立していて、互いに結びつきながらメロディを形成し、他の声部はメロディに完璧に従っている」と語っている。これは、ショパンが明快な楽曲構成に骨を砕き、古典的と見なされる根拠につながっている。
 確かにショパンは友人のステファン・ヴィトフィツキの詩に歌曲を書いたが、死後に17曲をまとめてポーランド歌曲集として出版を手掛けた友人のフォンタナは、そのまえがきに「言葉は音楽に対して、思考の秩序を、スタイルや曲調を強制する。ショパンは決してそれをよしとしなかった」と、ショパンの物言いから読み取れる姿勢を書いている。
 ジョルジュ・サンドは「ショパンは子供でも弾けるような10行で、限りない高尚な詩や比類のない活力のドラマを描くことができた」と書いているが、簡素な音の扱いで多くを語る能力はモーツァルトと共通するものである。幼少期のショパンの音楽教育を担当したユゼフ・クサヴェルィ・エルスネルは、ハイドンとモーツァルトの崇拝者、啓蒙主義者であった。彼はモーツァルトの《弦楽四重奏曲「不協和音」K465》をショパンに教え、斬新な不協和音とその解決法を学ばせた。ショパンが音楽院時代の1827年に作曲した《モーツァルトの歌劇〈ドン・ジョヴァンニ〉の「ラ・チ・ダレム・ラ・マーノ」による変奏曲 Op.2》は、エルスネルとの勉学の成果である。ショパンはエルスネルを通して、モーツァルトの無駄のない音の構成の仕方を受け継いだといえる。
 2曲のピアノ協奏曲を含めて、このようなオーケストラとの協奏作品を1831年までに集中して作曲した。パリに移り住んだ当初も、協奏作品を盛んに演奏している。コンサートホールに集う一般市民を相手に、成功しているムツィオ・クレメンティ、ヨハン・ネポムク・フンメル、イグナーツ・モシェレスなどのセンスや優雅さを身につけた華麗様式による作品といえる。しかし、音楽院時代にバッハやモーツァルトに魅了され、和声と対位法の多様な絡みに霊感を受けたショパンにとって、単に華麗なだけでは不満足だったのであろう。様式は受け継ぎつつも、より精緻な彫琢を施さずには済まなかった。それが結果的に、技巧の難渋さをもたらしたのである。

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