誕生日と命日が同じ作曲家ルクー ― 1870,1894年1月20日
演奏家、作曲家で夭逝して記憶に残っていることは多い。早世した演奏家、作曲家は円熟味が無いが、モーツァルトやシューベルトが22歳の時に書いた作品を円熟していないと批判するのと同じである。彼らの音楽は最初のものから完成された芸術であり、天才にとって年齢が無意味であることを示す証である。円熟味を味わいたいと思う気持ちは満たされないが、“スペインのモーツァルト”と呼ばれたアリアーガは、20歳になる前に早逝。『もう10年生きていたら、と惜しまれる天才の“絶筆”』として、《交響曲 ニ短調》を1月17日の命日に紹介しましたが、誕生日と命日が同じになることは、そうは無い。長命であれば、妙に律儀な人だったねぇ、と珍しがられるだろうが、それが僅か24歳の天才肌の音楽家となれば、“神様の意志”は人々の恨みを買ったかもしれない。夭逝したベルギーの作曲家、ギヨーム・ルクーのことである。
パリ音楽院で学んだルクーは、当時の大作曲家フランク門下の俊才だった。フランク門下や彼を信奉する者たちをフランキストと呼ばれるほどだった。この師は同じベルギー出身の若者の才能を愛し、やはり同国の作曲家でヴァイオリンの巨匠だったイザイも、ルクーの《ヴァイオリン・ソナタ ト長調》を盛んに演奏して紹介に努めた。しかし、ルクーは腸チフスに罹って、呆気なくこの世を去ってしまう。
現在、唯一演奏される彼のヴァイオリン・ソナタは、3楽章から成る情熱的で高貴さもたたえた音楽。「トレ・ラン(きわめて遅く)」と指示された中間の緩徐楽章は、瞑想的な詩情に溢れた調べが、生と死という人間の宿命を思い起こさせる。
その後、『アンジュー地方の民謡による幻想曲』などを手がけたが、1894年1月21日に腸チフスにより急逝した。急逝により作曲中だったチェロ・ソナタやピアノ四重奏曲はダンディによって補筆出版されている。
ルクー自身も「私は自分の音楽の中に己の魂のすべてを投入すべく苦心した」と語っていた。
ギヨーム・ルクーは大変な情熱家で、フランクのように献身的な性質を持ち、全身全霊を傾けて音楽にのめり込んだ。とくに偏愛したのは後期ベートーヴェンとワーグナーで、その作品を研究し、多大な影響を受けたようである。1889年にバイロイト詣でをし、『トリスタンとイゾルデ』を観て興奮のあまり気絶、担架で運ばれたというエピソードも有名だ。
「私は自分の音楽の中に己の魂のすべてを投入すべく苦心した」と述べているルクーの音楽は、《ヴァイオリン・ソナタ ト長調》が象徴的だ。冒頭の1小節をとってみても、「ヴァイオリンはこのように歌うのが最も美しいのだ」という信念が伝わってくるかのようだ。ゆるやかに下降して上昇するこのフレーズだけでルクーは音楽史に名を残したと断言したくなるくらいに、心がとけそうになる。わたしはフランキストではないが、周りに煙たがれるほどのワグネリアンだからかもしれないが、フランクの循環形式を採り入れた構成で、なおかつワーグナーの『トリスタンとイゾルデ』の雰囲気をまるごと持ち込んだような陶酔感、恍惚感が強い印象を残す。
第1楽章はソナタ形式。陶酔的な序奏が作品の雰囲気を決定する。ヴァイオリンに負けないくらいピアノの活躍が目立ち、お互いに情熱の高まりを見せながら、長い展開部を経て再現部にいたる。序奏の旋律が要所に織り込まれ、全体の均整もとれている。
第2楽章は三部形式。「ごく穏やかに」という指示で、8分の7拍子で始まるが、曲が進むにつれてリズムが複雑に変化する。翳りのある民謡風のメロディーが美しく、静かに不安定に揺れながらも、調和が崩れることはない。瞑想的な雰囲気もある。
「極めて活発に」と指示された第3楽章はソナタ形式で、情熱的な主題を提示する。緊張と弛緩を繰り返した後、第1楽章の序奏部が現れ、一時的に美の中で逡巡するが、再びエネルギーを取り戻し、ヴァイオリンが高らかに歌い出す。そしてピアノと共に劇的なコーダを形成する。
◉クリスチャン・フェラス ルクー:ヴァイオリン・ソナタ
◉アルトゥール・グリュミオー ルクー:ヴァイオリン・ソナタ/イザイ:子供の夢/ヴュータン:バラードとポロネーズ
◉ローラ・ボベスコ フランク/ヴァイオリン・ソナタ イ長調
◉ジャン=ジャック・カントロフ ドビュッシー、ラヴェル、ルクー:ヴァイオリン・ソナタ