モーツァルトの後期の交響曲。
ワルターはモーツァルトを得意としており、楽屋でモーツァルトの霊と交信していたという噂さえ伝説として残っているほどだ。生涯最後の録音も、モーツァルトのオペラ序曲集であった。晩年のコロンビア交響楽団とのステレオ録音では交響曲第36番、第40番、またニューヨーク・フィルとのモノラル録音では第35番、第38番、第39番、第40番、第41番などが名演奏として知られている。また、戦前のウィーン・フィルとの録音(『アイネ・クライネ・ナハトムジーク』など)や、1952年のウィーン・フィルとの交響曲第40番のライヴ録音、ザルツブルク音楽祭での交響曲第25番、『レクイエム』のライヴ録音などは今でも名演奏と称えられている。オペラでは、メトロポリタン歌劇場での『ドン・ジョヴァンニ』、『魔笛』等が知られている。
20世紀後半にモーツァルトの権威とされたカール・ベームも、「バイエルン歌劇場音楽監督であったワルターが私を第4指揮者として招聘し、彼がモーツァルトのすばらしさを教えてくれたからこそ、モーツァルトに開眼できた」と告白している。
このゲーテの言葉は、まず、誰をおいてもミューズの子ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト(Wolfgang Amadeus Mozart, 1756〜1791)を思い出させる。古典主義芸術の花が、芳しく咲き誇った18世紀の中頃、ドイツとイタリアのほぼ中間、オーストリアのザルツブルグの街に生まれたこの天才の残した足跡は、たしかに、今日の私たちが18世紀から求め得る、最も豊かな美しい財産なのだ。
交響曲が、それ独自の特性と、いわばモニュメンタルな意味をも持つためにはベートーヴェンを待たなければならないが、その兆しは既に、この6曲とハイドンの12曲からなる〈ザロモン・セット〉に見て取れる。とりわけ、元来がセレナードとして作曲されながら、そこにそれまで聴くことの出来なかった張り詰めた緊張を盛るのに成功した《ハフナー交響曲》は、新興の芸術形態として決して恵まれた環境にはなかった交響曲のあり方を示しているとともに、新しい時の到来を図らずも暗示している。
たとえ実生活におけるモーツァルトは貴族の保護を離れて自由人として生きた最初の作曲家だったとはいえ、音楽家としての彼は、その時代の秩序を否定して新しい秩序を打ち立てるといった革命家ではなかった。だが、その与えられた秩序に誠実に生きるということは、取りも直さず、来たるべき時代に最良のメッセージを送れるということでもあるのだ。その意味において、これら6曲の交響曲は、彼が《魔笛》を書いてドイツ・オペラの基礎を築いた以上に、かけがえのない立場にある。
ベートーヴェンの9曲、ブラームスの4曲、さらにそれに続く数多くの交響曲を、私たちが獲得するためには、どうしても、この6曲が必要だった。たしかに、100曲もの交響曲を作ったハイドンがいた。着実ではあったが極めて遅い歩みを見せた彼の天才は、彼が深い影響を与えたモーツァルトから、逆に影響を受けて真の実りを齎した。例えば、モーツァルトの死を悼んで作曲されたという、彼の最後の交響曲《第104番 ニ長調 ロンドン》には組み立ての確かさとか、表現の真実さとかいった、ハイドンの作曲家としての特質が最も好ましい形で示されている。だが、そこには、まだ、あのモーツァルトの音楽の持つ感じやすい表情がない、新しい形式や手法を編み出して、何よりも作品に安定と純粋さを求めたハイドンは、後世に交響曲という形式は残し得たがモーツァルトはそこに、柔軟性と細やかな感受性とを授けて真に魅力的なものとした。
その芸術家が未だ、自らの個性を獲得していないのならともかく、その芸術を抜き差しならない形で確立してしまっている以上、先人をも含めて、外部からの力というものは、もはや天才の霊感に影を落とすことはない。《ハフナー交響曲》を作曲した1882年、26歳のモーツァルトは彼に与えられた玉座に進むべく、既に確実な歩みを始めていた。したがって、この6曲に関する限り、モーツァルトのハイドンへの影響は認めるとしても、ハイドンからの影響は考えられない。たとえ、《リンツ》、《プラハ》《第39番 変ホ長調》が第1楽章に、ハイドン流の序奏を持っているとしても、である。つまり、これら、モーツァルトの愛を最も強く受けた6人の兄弟たちは、半音階的な歩みをみせる和声によって呈される虚ろに安い影、木管楽器と弦楽器との巧妙なコントラストによって醸し出されるニュアンスに富んだひだどりとによって、まさにモーツァルト独自の表情を備えている。そうした18世紀が終わろうとしている時に生まれ出た彼らの後姿は、当然、古い時代、つまり音の対位法的な取り扱いに対する感謝に満ちた眼差しと、和声的なスタイルに敏感に反応する皮膚とを、殊のほか美しい形で取り揃えているのだ。
人間の魂を歌う巨匠
通販レコードのご案内《米マスターワークス盤》US COLUMBIA D3S691 ワルター コロムビア交響楽団 モーツァルト・後期交響曲35-41番
- モノ録音でニューヨーク・フィルとの六大交響曲も残していて、そちらも捨てがたい味わい深い、こちらは晩年の芸風か、ゆったりした演奏です。まさに孫のような天才プロデューサー、ジョン・マックルーアとの邂逅が実現した奇跡の名演だと思います。この3枚だけでもワルターの名前は残ったと確信するセットです。
通販レコード詳細・コンディション、価格
プロダクト
- レコード番号
- D3S691
- 作曲家
- ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト
- オーケストラ
- コロンビア交響楽団
- 指揮者
- ブルーノ・ワルター
- 録音種別
- STEREO
コンディション
- ジャケット状態
- M-
- レコード状態
- M-
- 製盤国
- US(アメリカ合衆国)盤
リーフレット付属、名演奏、名盤。
通販レコード
オーダーは | 品番 / 34-26949 |
販売価格 | 6,600円(税込) |
初期盤・クラシックレコード専門店「RECORD SOUND」
ロマンティックな情感を適度に盛り込みながら柔らかくたっぷりと歌わせたドイツ的なスタイル。
一時は引退を表明して80歳を越えた晩年のワルターは米国は西海岸で隠遁生活送っていたが、米コロンビア社の若き俊英プロデューサー・ジョン・マックルーアに説得されドイツ物中心にステレオ録音開始。その彼のステレオ録音の最初の1枚となったものはマーラーの「復活」です。マーラーの弟子であったワルターが、それまでの手兵ニューヨーク・フィルを指揮してステレオで最初にとりあげたのが『復活』だったというのはまさに僥倖であったといえるでしょう。日本の北斎に譬えられたように、まさに80歳にして立つと言った感じ。引退していたワルターを引っ張り出し、『マーラー直弟子のワルターが伝えるマーラー解釈の神髄。』とコピーが常套句になっていますがワルターの心情はどうだったのか、と考えます。この録音はニューヨーク・フィルとウェストミンスター合唱団。あとに続くレコードのためのオーケストラのとは違ったんじゃないか。
ドイツものとしてマーラーを録音できることに特別な思いを強くしたのではないか。録音は穏和な表情の中にどことなく哀感が漂うような、独特の味わいがあります。低音域を充実させたドイツ的なスタイルで、ロマンティックな情感を適度に盛り込みながら柔らかくたっぷりと歌わせたスケール感豊かな名演。マーラーも、巨匠ワルターの芸風に最もしっくりと馴染む作曲家の一人だったように思う。マーラー直系の愛弟子ですから、当然と言えば当然ですが、同じユダヤ人として時代を共有したものでなければなし得ない強い共感に満ちあふれた演奏を聴かせている。歴史的名盤といえる録音だ。ワルターのステレオ録音が聴けるとは、米コロンビア社の英断に感謝せずにはいられません。
詳細の確認、購入手続きは品番のリンクから行えます。プライバシーに配慮し、会員登録なしで商品をご購入いただけます。梱包には無地のダンボールを使用し、伝票に記載される内容はお客様でご指定可能です。郵便局留めや運送会社営業所留めの発送にも対応しております。
入手のメインルートは、英国とフランスのコレクターからですが、その膨大な在庫から厳選した1枚1枚を大切に扱い、専任のスタッフがオペラなどセット物含む登録商品全てを、英国 KEITH MONKS 社製マシンで洗浄し、当時の放送局グレードの機材で入念且つ客観的にグレーディングを行っております。明確な情報の中から「お客様には安心してお買い物して頂ける中古レコードショップ」をモットーに運営しております。