WordPress 4.0

WordPress 4.0 GradeUp – エラーでログイン出来ないインストール失敗もあったけど、成果は期待通りに Benny Goodman は快適だ。

wordpress4.0へ更新をクリックしたところ「更新に失敗しました」との表示、「Fatal error: Class ‘WP_Session_Tokens’ not found」エラーメッセージが出てログインできません… その解決方法は。グレードアップ後にサイト表示速度を測定しました。良い成績が出ました。

夏休み特集 – 電気が無くてもレコードを聴くことができる驚きの発見

8月の無料コンサートに小学校の生徒さんたちを招待する初試みをしました。夏休み最後のイベントとして夏休みの宿題ででも役立ってもらえばと希望しています。今の小学生の両親となるとCDの世代でレコードの記憶も遠いものだったり全く経験がないという方もいらっしゃるのではないか。今後は地域で蓄音器を聴いて貰う機会を増やしていきたい。

エドモン・クレーマンのレコード

クレーマンの『マノンの夢』ほど、旧盤レコード・コンサートで感動を誘うものは無い。ファーラーも、メルバも、カルーソーも、タマニョも聴き尽くしたあとで、このレコードを聴かせると場内は殆ど夢見るような空気に籠められ、静かな、浄化された一種不思議な感動に誘い込まれるのである。

「あゝ、クレーマンの『夢』は矢張り一番良かった」
そういう囁きを私は幾度となく聴いて居る。これは実に不思議なことでもあり、又当然のことであると思う。

クレーマンのうまさというのは全く特別なものであり、日本人向けであると言っても宜しい。この人は決して叫ばない、いつでも静かな中庸な声で巧みに溜まり返る血潮の情熱を表現するのである。あらゆる男性歌手のうちで、この人ほどたしなみの良い人がなく、この人ほど趣味の高い人はない。それは純粋にパリジャンの芸術であると共に、日本人の閑寂な趣味に通う芸術である。それは侘びと寂びにさえ似たものを持った、たしなみ深き表現だったのである。

 

ルイザ・テトラツィーニのレコード

ルイザ・テトラツィーニは技巧の完全な征服者であると言葉に尽くすより昔の大歌手というものは「こんなにうまかった」と『鐘の歌』を聴かせるのが宜しい。優れた個性の美しさは聴いて確かめるのが一番早い。声の器楽化などと軽視されようともコロラトゥラ・ソプラノもここまで来るとめでたくも楽しい芸術である。

エマ・カルヴェのレコード

カルヴェがカルメンの最上の演出者であったことは日本でもよく知られている事実である。1902年にロンドンでグラモフォーンに6面吹き込んだが、これが彼女の最初のレコードのように考えられている。カルヴェの声の特徵は、メルバの声は独特の美しさに輝き、彼女の個性がどのレコードにも現れて居たものと全く異なり。そのレコードには生々しい程の感情が再生されている。そして、その曲にふさわしい雰囲気を醸し出し、曲趣を生かすために全力を傾けている。
「セギディーリャ」は1902年に録音された一面で、この集の最古レコードである。
これはおそらく蝋管から平面盤に移したものと考えられるが、極めて珍しいレコードである。針音はかなり出るけれども珍しさがそれを充分補っていると思う。

ヘルマン・ヤドロウカーのレコード

歌い手として当時のヤドロウカーはイタリのテナーと違って、北欧人らしい深沈たる美しさがあり日本人向きのする底光りの味を持った人であった。今この人の『花の歌』を聴いて、まことに感多少である。『花の歌』は難しい歌だ、テナーは誰でも歌うが誰も上手には歌えない。ヤドロウカーの一風変わった抒情的な味は、空々しさが無くて本当に嬉しい。ホセの突き詰めた心持ちは全くこうでなければなるまいと思う。

ジェルヴィール・レアーシュのレコード

1908年から10年にかけて15枚を米ビクターに吹き込んでいるが彼女の名は恐らくオールドファン達の中でも知っている人は少ないかも知れない。まして彼女のレコードを持っていた人は数える外ないだろうと思われる。同じコントラルトでも幅のある深い潤いに満ちた声質と情熱的な一種特有な歌い方は聴く者の心に抵抗し難いものを感じさせる。

7つのヴェールの踊り

あゝあゝあ シュトラウスだぁ。シュトラウスでも今年150年記念のリヒャルト・シュトラウス。でも曲名なんだったけ。しばし考えて楽劇サロメから7つのヴェールの踊りの冒頭ですね。リヒャルト・シュトラウスの音楽はどれも最初の数秒に音楽全体が表現されている。凝縮されていると言いなおしたらいいかな。クラシックの中では作曲されるとすぐにラジオで放送される恵まれた機会を得ていたシュトラウス。曲の始まりに自分の曲だとわかる音のサインと曲全体をインデックスしている。それを次第に分かりやすく語りかけるという音楽で管弦楽は巨大だけど、演奏家が疲労困憊しないための仕掛けだったのだと。演奏家たちからも歓迎されるわけですね。これまでリヒャルト・シュトラウスが出題されていなかったのが嘘のようです。

蛇の目ごしにものを見ている男たち

ある盗賊団の頭が死んだ。残された子分は頭が溜め込んでいたはずの大金を探すが見つからない。とうとう、新しい頭を立てて押し込み働きをするようになった。そこに、鬼の平蔵が待っていた。「俺のやり方は行き過ぎだと上から避難されるだろう。どうお裁きを受けることになるかわからないけど、今の江戸じゃ俺がしないで誰がやれる仕事だ」は名言

音楽で平和を祈るダニエル・バレンボイムとウィーン・フィルのニュー・イヤー・コンサート 2014

平和を祈ることに音楽活動のすべてが繋がっている指揮者ダニエル・バレンボイムはコンサートの最初に愛妻の名前のある曲を演奏しました。平和は自分ができるところから心がけていけば連鎖的に広がっていくものだと、プライヴェートな理由ですが、これが最も大切なことで希望の理由に、そう言えることが素晴らしい行為ではないでしょうか。