エドモン・クレーマンのレコード
クレーマンの『マノンの夢』ほど、旧盤レコード・コンサートで感動を誘うものは無い。ファーラーも、メルバも、カルーソーも、タマニョも聴き尽くしたあとで、このレコードを聴かせると場内は殆ど夢見るような空気に籠められ、静かな、浄化された一種不思議な感動に誘い込まれるのである。
「あゝ、クレーマンの『夢』は矢張り一番良かった」
そういう囁きを私は幾度となく聴いて居る。これは実に不思議なことでもあり、又当然のことであると思う。
クレーマンのうまさというのは全く特別なものであり、日本人向けであると言っても宜しい。この人は決して叫ばない、いつでも静かな中庸な声で巧みに溜まり返る血潮の情熱を表現するのである。あらゆる男性歌手のうちで、この人ほどたしなみの良い人がなく、この人ほど趣味の高い人はない。それは純粋にパリジャンの芸術であると共に、日本人の閑寂な趣味に通う芸術である。それは侘びと寂びにさえ似たものを持った、たしなみ深き表現だったのである。