Michel Lambert

ガストン・ドルレアンに仕えた音楽家(4)〜古楽の楽しみ 2015.2.12 NHK-FM 放送

フランス宮廷の月と太陽

ミシェル・ランベール( Michel Lambert, 1610年、シャンピニー=スュル=ヴゥード( Champigny-sur-Veude )生 – 1696年6月29日、パリ没)は、フランスの歌手、テオルボ奏者、作曲家。エール・ド・クールの作曲家として知られている。

子供の頃、ルイ13世の弟オルレアン公ガストン(1608年-1660年)の目に留まり、その聖歌隊で音楽教育を受ける。
1636年以降、声楽教師として広く知られるようになった。1651年、ルイ14世の宮廷で行われたバレに、踊り手として登場してもいる。1656年以降、作曲家としての名声を確立し、多くの作品が出版された。

1641年に歌手のガブリエル・デュピュイ( Gabrielle Dupuy )と結婚、後にその娘はジャン=バティスト・リュリの妻となった。1661年に婿にあたるリュリが音楽監督を務める王の宮廷音楽隊の音楽長となり、死ぬまでこの職を務めた。

ランベールには謎が多い。ジャン=バティスト・リュリの Ballet de la naissance de VénusやLes Amours Déguisez などの作品中に、ランベールの曲であるという注意書きが見られる曲がある。
また歌曲集(1692年ごろ)とルソン・ド・テネブル集2巻(1662年から1663年にかけて、および1689年)が手書き譜として残されている他、多くのエール・ド・クールが出版されたが、現存が確認されているものは多くない。以下が確認されている出版譜である。

  • Airs du sieur Lambert (パリ、1658年)
  • Les airs de Monsieur Lambert, 19 airs avec doubles (パリ、1660年)
  • Pièces en trio pour les violons, flûtes ou hautbois (アムステルダム、1710年)

2月9日 月曜日からの4日間は、フランス国王ルイ13世の弟、ガストン・ドルレアンに仕えた音楽家たちの作品をご紹介します。

ランベール作曲
「あなたの軽蔑が」(5分20秒)
(テノールと指揮)ステファン・ファン・ダイク
(合奏)ムジカ・ファヴォーラ
<ACCENT ACC 24234>

ランベール作曲
「“聖木曜日の第1ルソン”から 抜粋」(10分13秒)
(カウンターテナー)チャールズ・ブレット
(クラヴサンとオルガン)イヴェト・ピヴトー ほか
<VIRGIN CLASSICS 3 85789 2>

ランベールは歌手として、教師としても優れた活躍をしました。
フランスの歌曲、エールでは単純な旋律が歌われルーブルという装飾された歌い方がされます。
ランベールの歌曲には、そうしたルーブルが添えられた貴重な例がみられます。

ランベールは当時の宮廷で流行していたエール・ド・クールの音楽部分を担当します。『甘美な幸福よ』は芸術のバレの中の曲でランベールの伴奏で、義理の妹のデュプリとサン=クリフト嬢が唄いました。
デュプリは甘い良い声を持っていました。一方、サン=クリフト嬢は詩作にも長けていましたので後にリュリのオペラで主役を務めるようになります。

ランベール作曲
「何をしているのか、シルヴィ」(3分49秒)
「愛する人の影」(5分17秒)
(ソプラノ)モニク・ザネッティ
(合奏)フォンス・ムジケ
「甘美な幸福よ」(5分50秒)
(ソプラノ)モニク・ザネッティ
(カウンターテナー)パスカル・ベルタン
(合奏)フォンス・ムジケ
<ET’CETERA MKTC 1195>

カタログ番号は KTC 1195 へ移行している。
フォンス・ムジケのリュートと指揮は今村泰典。

リュート歌曲とエール・ド・クールについて

リュート歌曲というのは、一般的に歌手+リュートと言う形態を考えるけど、イギリスにおいてはコンソート・ソング(歌手+ヴィオールコンソート)とマドリガル形態(全声部を歌う)と、レパートリーの上で互換性がある。それはイギリスのいわゆるリュート歌曲の作曲家はリュート奏者が多いので、そういう形態で録音されていることが多いということからの推測

ショーケースとしてはイギリスのリュート奏者で作曲家だったダウランドの「歌曲集第一巻」の楽譜がテーブルを4人が囲んで見られるように印刷されているのが推理の素だったりする。当時のイギリスではヴィオール・セットが家庭の必需品だったからだろう。

その意味では、一般的に「リュート歌曲」として考えられる形態を念頭に作曲されたのって、実はフランスのエール・ド・クールのほうに重みがあるとみれる。


リュリと夜のバレエ

リュリはイタリアのフィレンツェで育ちます。フランスに出てきたリュリの名前が公的な記録に登場するのは、1646年、21歳の時でした。既にギターや鍵盤楽器の演奏を身につけていた彼はグランド・マドモアゼルからフランス式のバレエの踊り方を学びますが、グランド・マドモアゼルがフロンドの乱に加わりフランスから追放(1652年)されてしまうとバレエの踊り手として宮廷にデビューしました。この舞台では「太陽」に扮した当時14歳のルイ14世と一緒にバレ・ド・クールの舞台に立つようにます。そして、《夜のバレエ》から1か月後にリュリは国王の「器楽作曲家」に任命されています。

バレ・ド・クールはバレエと音楽の総合芸術で、音楽部分は宮廷作曲家が書き、バレエの部分は踊り手たちが作曲をし演奏していました。
リュリは踊り手として出発し、やがて作曲をするようになります。
これはリュリの最初の成功作とされる作品です。

その後は、1661年の3月に、それまで実質的にフランスの政治を左右していた摂政マザランが世を去り、ルイ14世による親政が始まるとすぐに、リュリはシャンブルの音楽監督と作曲家に任命され、ヴェルサイユの音楽家として最高の地位に上り詰めます。

リュリ作曲
「“快楽のバレエ”から 抜粋」(13分18秒)
(合奏)アラディア・アンサンブル
(指揮)ケヴィン・マロン
<NAXOS 8.554003>

若干21歳で宮廷作曲家に登用されてルイ14世の寵愛を受けたことで有名なリュリ、太陽王を魅了したバレエ音楽が貴方のリスニングルームに蘇ります。例えば16のカズーも聞こえるご機嫌なナンバーは、さぞかし王を喜ばせたことでしょう。
こう言うと絢爛豪華なばかりのようですが、実は歌付きのナンバーが何とも詩的で、これまた聞き手をノックアウト。
ここでの2人のソプラノ歌手の歌唱がまた見事です。誰もが一目で気に入る音楽、ハイ・デフィニション・サウンドの心地よさもあいまって、豊穣なフランス・バロックの世界が貴方を虜にします。

the_modified_date

Moesia 1.23 へ、テーマのアップデートに関しての備忘

テーマをアップデートするとカスタマイズは消える

インストールした既存のテーマを独自の仕様にカスタマイズしていた場合、テーマのアップデートの更新をストレートに実行すると、テーマのファイルがは全て上書きされるのでカスタマイズは痕跡も残さず無くなってしまいます。

そこで子テーマ( Child Theme )を準備して、そこでカスタマイズさせておけば本体のテーマを更新しても自分で独自仕様に工夫した記述は残ります。

それを承知で本体のテーマを直接カスタマイズしています。
それは、この Moesia テーマは更新が頻繁です。作者が熱心だということだと感じます。
と、すればテーマの内部、構成自体が大きく変わることも有るかもしれません。

更新があった時に学ぶことも有るだろうと内部を見る習慣を付けたいと思ったからでした。

最終更新日の挿入

カスタマイズを加えたと言っても、最終更新日の挿入だけです。でも、どこにカスタマイズを加えたのか備忘にします。

当サイトは過去エントリーを現在、随時修正中です。検索からアクセスのあったサイト統計情報のログを参考に行なっています。それで未修正との判断が観て、わかるように【最終更新日】のコードの追記をしました。

※カスタマイズしているのは写真の矢印箇所に【最終更新日】を挿入しています。

よく有るテーマのファイル構成では、エントリーメタ( .entry-meta )は header.php か single.php に有るのですが Moesia では content-single.php に記述されていました。

content-single.php

<div class=”entry-meta”><!–?php moesia_posted_on(); ?–><span class=”note_modified”>[最終更新日]<!–?php the_modified_date(‘Y/m/d’) ?–></span></div>

上記コードに今回は更にクラスを付与して、レイアウトをスタイルシートで調整できるようにしました。

スタイルシート

.entry-header .entry-meta .note_modified {
margin-left: 1em;
}
Anthonis van Dyck

ガストン・ドルレアンに仕えた音楽家(3)〜古楽の楽しみ 2015.2.11 NHK-FM 放送

ガストン・ジャン・バティスト・ド・フランス(Gaston Jean Baptiste de France, 1608年4月25日 – 1660年2月2日)は、ブルボン朝フランスの王子。オルレアン公(duc d’Orléans)。
フランス王アンリ4世と王妃マリー・ド・メディシスの三男として、フォンテーヌブローで生まれた。兄にルイ13世、姉にスペイン王フェリペ4世妃エリザベート(イサベル)、サヴォイア公ヴィットーリオ・アメデーオ1世妃クリスティーヌ(クリスティーナ)、妹にイングランド王チャールズ1世妃アンリエット(ヘンリエッタ)がいる。

はじめアンジュー公に叙され、1626年にオルレアン公、ブロワ伯、シャルトル伯となった。1628年、当時ユグノーの牙城であったラ・ロシェル包囲に軍を率いて参加。また、母マリーとリシュリュー枢機卿の政府に楯突き、ラングドックで王軍に完敗した後フランドルに逃亡した。やがて兄と和解して帰国するが、1635年にリシュリューに対して陰謀を企み国外へ逃げ、再度政府に服従させられた。

服従後もすぐに同じ陰謀を繰り返し、1642年に兄の寵臣サン=マール侯を操り、リシュリュー暗殺を画策したが失敗した。翌1643年に兄が亡くなると王国の陸軍大将となり、フランス北部でスペイン軍と戦った。1646年にはアランソン公になった。フロンドの乱(1648年 – 1653年)に際して、甥ルイ14世の重臣マザラン枢機卿に睨まれ、1652年に私領ブロワに蟄居させられ、そこで亡くなった。

フランス宮廷の愛の歌

セバスティアン・ル・カミュ( Sebastien Le Camus )は王妃マリー・テレーズの音楽監督でしたが、後に国王付きの宮廷テオルボ奏者になりました。
写真はオルレアン公爵夫人マルグリット・ド・ロレーヌ。セバスチャン・ル・カミュが使えた王妃はガストン・ドルレアンと結婚後、娘を出産後に死去した。1627年のことで、再婚は1632年と5年の間があるので国王付きのテオルボ奏者に役付が変わったのでしょう。

2月9日 月曜日からの4日間は、フランス国王ルイ13世の弟、ガストン・ドルレアンに仕えた音楽家たちの作品をご紹介します。

セバスティアン・ル・カミュ作曲
「この場所をまだ愛している」(2分30秒)
「ついにあなたは戻ってきた」(2分36秒)

(合唱)(バリトン)トーマス・ヴァン・エッセン
(合奏)アンサンブル・レ・メランジュ
<HORTUS 062>

ノルマンディー地方ルーアン市の古楽アンサンブルが、当地に縁のある、フランス・バロックの代表的作曲家シャルパンティエ、マリー・テレーズ付き楽団の総監督セバスティアン・ル・カミュと息子のシャルル・ル・カミュらの音楽を通じ、当時の音楽や文化の多様性を伝えるアルバム。


ル・カミュは知識あるの婦女子たちにも人気がありました。その中の一人、セヴィエ夫人はル・カミュやその息子シャルルの伴奏で歌ったことを嬉しそうに娘に手紙を書いています。

その歌った時の様子をソプラノのヴェロニク・ジャンスの歌声でイメージしましょう。テノールのジャン・ポール・フシェクールのように甘い語りかけでル・カミュが応じていたかもしれませんね。それ故、とても嬉しかったことでしょう。

セバスティアン・ル・カミュ作曲
「春の美しい日々」(1分50秒)
(ソプラノ)ヴェロニク・ジャンス, (テオルボ)パスカル・モンテイエ
「ああ、あなたは何と幸せなのか」(1分28秒)
(テノール)ジャン・ポール・フシェクール, (テオルボ)パスカル・モンテイエ
「恐れる者は」(2分15秒)
(ソプラノ)ヴェロニク・ジャンス, (テオルボ)パスカル・モンテイエ
「しっと深い気持ちが」(0分44秒)
(テノール)ジャン・ポール・フシェクール, (テオルボ)パスカル・モンテイエ
「夜を続けてくれ」(4分34秒)
(ソプラノ)ヴェロニク・ジャンス, (テオルボ)パスカル・モンテイエ

<VIRGIN VERITAS 7243 5 61674 2 1>


宮殿で響いた器楽の音楽

ガストンが住んでいたテュイルリー宮殿にはデュフォーや、オトマンといった多くの音楽家が出入りしていました。

デュフォー作曲
「前奏曲」(1分05秒)
(リュート)バンジャマン・ペロー, (ヴィオール)フロランス・ボルトン
「サラバンド」(1分33秒)
(リュート)バンジャマン・ペロー
ニコラ・オトマン作曲
「ブーレ」(1分39秒)
(リュート)バンジャマン・ペロー, (ヴィオール)フロランス・ボルトン

<ALPHA 078>


ゴーティエは従兄弟と共にリュート奏者として活躍しました。サラバンドは当時のフランスで根付き始めた舞曲です。

ドニ・ゴーティエ作曲
「アルマンド」(4分26秒)
「サラバンド」(4分10秒)

(リュート)アントニー・ベイルズ

<RAMEE RAM 0904>


荘重なトンボー。トンボーとは墓のことです。だからといって葬儀に際して演奏されたというものではなく、日常的な中で滅入るような気持ちを表す癒しの音楽として演奏されたと思えます。

ルイ・クープラン作曲
「ブランロシェ氏のトンボー」(8分05秒)

(クラヴサン)クリストフ・ルセ
<APARTE AP 006>

ルイ・クープランは、有名なフランソワ・クープランのおじで、近年評価が高まっています。
ルイ・クープランを含む3兄弟は、パリに出てきて活躍しますが、ルイ・クープランはサン・ジェルべ教会のオルガン奏者の地位につきますが、ルイ14世に請われて宮廷に入り音楽活動を始めます。
ルセによるルイ・クープラン作品集。2枚組でほぼ全集に近いのではないかと思います。


フローベルガー作曲
「ブランロシェ氏の死に寄せるトンボー」(7分34秒)

(クラヴサン)ボプ・ファン・アスペレン
<AEOLUS AE-100745>

1608 Gaston duc d'Orléans

ガストン・ドルレアンに仕えた音楽家(2)〜古楽の楽しみ 2015.2.10 NHK-FM 放送

王が宴におられる間の音楽

エティエンヌ・ムリニエ( Estienne Moulinié )は、フランスのバロック初期に活躍した「エール・ド・クール」や「エール・ア・ボワール」を得意とした作曲家。

ルイ13世のただ一人の弟であったガストン(オルレアン公)(1608-60)の宮廷楽長として1627から1660年の30年余の長きにわたって、宗教音楽と世俗音楽(独唱とリュートもしくは重唱と通奏低音のための作品)のほかにバレエなどの舞曲も作曲している。そして大公ガストンの令嬢ド・モンパンジエの音楽教師でした。そして1660年にオルレアン大公ガストンが崩御するまで仕えました。

世俗の作品は比較的よく知られていますが、今回プログラムされている宗教作品は、ほぼ顧みられることなく埋もれていました。しかし、どれも非常に個性豊かで美しいものばかり。

2月9日 月曜日からの4日間は、フランス国王ルイ13世の弟、ガストン・ドルレアンに仕えた音楽家たちの作品をご紹介します。

エティエンヌ・ムリニエ作曲
「“死者のためのミサ曲”から イントロイトゥス/キリエ/グラドゥアーレ」 (8分53秒)

(合唱)アンサンブル・ボーカル・サジタリウス, (合奏)ラ・フェニーチェ, (指揮)ミシェル・ラプレニ
<ERATO WPCC-4266>

ムリニエといえばエール・ド・クールの初期の大家。しかし、このところ彼の宗教音楽が続けて紹介されていて、これがデュモン、シャルパンティエに至るフランス教会音楽の系譜を理解させてくれる絶好の機会となっている。器楽合奏曲の2曲も聴ける。


 

エティエンヌ・ムリニエ作曲
「宗教声楽曲集“メランジュ”から “主に向かい、歌おう”」 (3分05秒)
「宗教声楽曲集“メランジュ”から “おお、慈悲深いイエス”」 (1分50秒)

(合唱と合奏)アンサンブル・コレスポンダンス, (指揮)セバスティアン・ドセ
<HARMONIA MUNDI HMC902194>

17世紀中期のフランスの音楽の発展にも重要な役割を果たしたムリニエの力作を、精緻にしてやわらかな美しい歌声と、心ふるわすような通奏低音の音色のアンサンブル・コレスポンダンスが見事によみがえらせました。


 

エティエンヌ・ムリニエ作曲
「宗教声楽曲集“メランジュ” モーセ賛歌から 抜粋」 (9分20秒)

(合唱と合奏)レザール・フロリサン, (指揮)ウィリアム・クリスティ
<HARMONIA MUNDI(仏) HMA 1901055>


 

エティエンヌ・ムリニエ作曲
「宗教声楽曲集“メランジュ”から “来たれ、わが花嫁”」 (4分55秒)
「宗教声楽曲集“メランジュ”から “わたしは野の花”」 (2分28秒)

(合唱)ベルサイユ・バロック音楽センター合唱団, (合唱)ベルサイユ・バロック音楽センター少年少女合唱団, (合奏)ベルサイユ・バロック音楽センター管弦楽団, (指揮)オリヴィエ・シュネーベリ
<ALPHA 097>


 

エティエンヌ・ムリニエ作曲
「宗教声楽曲集“メランジュ”から “聖母マリアへの連とう”」(10分53秒)
「モテット“花が地上に現れた”」 (2分50秒)

(合唱と合奏)アンサンブル・コレスポンダンス, (指揮)セバスティアン・ドセ
<HARMONIA MUNDI HMC902194>

17世紀中期のフランスの音楽の発展にも重要な役割を果たしたムリニエの力作を、精緻にしてやわらかな美しい歌声と、心ふるわすような通奏低音の音色のアンサンブル・コレスポンダンスが見事によみがえらせました。

Musical Society. c1635, by Abraham Bosse, French engraver 
(b. 1602, Paris, d. 1676, Paris), Copper engraving, 
Bibliothèque Nationale, Paris

ガストン・ドルレアンに仕えた音楽家(1)〜古楽の楽しみ 2015.2.9 NHK-FM 放送

17世紀中期のフランスの音楽の発展にも重要な役割を果たしたムリニエの音楽

エティエンヌ・ムリニエ( Estienne Moulinié )は、フランスのバロック初期に活躍した「エール・ド・クール」や「エール・ア・ボワール」を得意とした作曲家。

ルイ13世のただ一人の弟であったガストン(オルレアン公)(1608-60)の宮廷楽長として1627から1660年の30年余の長きにわたって、宗教音楽と世俗音楽(独唱とリュートもしくは重唱と通奏低音のための作品)のほかにバレエなどの舞曲も作曲している。そして大公ガストンの令嬢ド・モンパンジエの音楽教師でした。そして1660年にオルレアン大公ガストンが崩御するまで仕えました。

宗教作品は、ほぼ顧みられることなく埋もれていますが、どれも非常に個性豊かで美しいものばかりです。ただし、今日は良く知られている世俗の作品を聴きます。

2月9日 月曜日からの4日間は、フランス国王ルイ13世の弟、ガストン・ドルレアンに仕えた音楽家たちの作品をご紹介します。

エティエンヌ・ムリニエ作曲
「歌曲集から 静かな暗い夜」 (2分34秒)
「歌曲集から 友よ、酒に酔おう」 (1分14秒)

(カウンターテナー)ジャン・ポール・フシェクール, (リュート)エリック・ベロック <GLISSANDO 779 013-2>

バロックから近代歌曲まで、フランスの声楽に広い適性を示す稀代のオート・コントル(ハイ・テナー)、フシェクールによるフランス・ルネサンス・バロック宮廷歌曲集です。録音:2000年1月、パリ、メゾン・ド・ラ・ラディオ、スタジオ106


 

エティエンヌ・ムリニエ作曲
「歌曲集から 嫉妬よ、出ていけ」(2分58秒)
「歌曲集から なにもかも緑に満ちて」(6分08秒)

(合唱、合奏)ル・ポエム・アルモニーク, (指揮)ヴァンサン・デュメストル <ALPHA 005>

1998年、音楽・芸術監督ヴァンサン・デュメストルのもとに結集した歌手や器楽奏者たちによる古楽アンサンブル。本拠をフランスのルーアンに置き、世界中をツアーしている。演劇やダンス、パントマイム、サーカスまで、さまざまな分野とのコラボレーションを行ない、独創的な舞台作品を数多く生んできた。


 

エティエンヌ・ムリニエ作曲
「歌曲集から さまざまな鳥のコンセール」(3分42秒)
「歌曲集から どこへ逃げるのか」(3分40秒)
「歌曲集から 美しい目よ、嘆くがよい」(2分43秒)

(ソプラノ)マリア・クリスティーナ・キール, (バス)ホセプ・カブレ, (ギター)ベルナール・ルヴェル <L’EMPREINTE DIGITALE ED 13010>


 

エティエンヌ・ムリニエ作曲
「歌曲集から 緑の川辺で」(2分22秒)
「歌曲集から もう追いかけるものか」(2分34秒)
「歌曲集から さまよえるユダヤ人のエール」(2分03秒)
「“ピエール・ド・プロヴァンスとラ・ベル・マグロンヌの結婚”から 抜粋」(14分53秒)

(合唱、合奏)ル・ポエム・アルモニーク, (指揮)ヴァンサン・デュメストル <ALPHA 005>

New Year's Concert 2015 - Zubin Mehta

Notes of Wiener Philharmoniker New Year’s Concert

毎年元日の楽しみ。ウィーン・フィルのニューイヤーコンサート。その生中継の直前、直後、そして振り返って考えたことをまとめたコーナーです。
New Year's Concert 2015 - Zubin Mehta

ニューイヤーコンサート 2015 ウィーン・フィルと蜜月にあるメータの軽やかなシュトラウスを聴いた。

1939年に開始されたウィーン・フィルのニューイヤーコンサート。NHKでは1984年から毎年テレビで衛星生放送を実施しており恒例行事として世界で最も多くの人が同時に試聴するコンサートである。2015年の指揮台に立つのはズービン・メータ。1990年に初めて指揮して以来、1995、98、2007年に続き5回目の登場となる。

New Year's Concert 2015 - Zubin Mehta

ニューイヤーコンサート 2015 ウィーン・フィルと蜜月にあるメータの軽やかなシュトラウスを聴いた。

大阿蘇は雪が降っている熊本。市内は降雪はなく青い空が開けていますが、それは空気が澄んでいて阿蘇山では雪が降っているんだなぁと、この季節ならではの気象状態です。室内から空や表通りを観る限りでは、外出したら気持ちが良いだろうなと思いましたが年賀状を受け取るのに玄関を出たら通りを凄まじい音で風が通り抜けています。
それは見えないモンスターが次々と阿蘇から降りてきているように感じられました。

大晦日には午後になって激しい雷が轟いて雨が降った。幸いに時間ほどで止みましたが熊本の師走、正月は12月に入った頃に一旦寒さがやってきてピークは忠臣蔵の放送がある半ば。クリスマスに雪が降れば塩梅の良い演出となるもので正月三が日は晴れている。ということが多いでしょう。
2014年から2015年への年越しも同様で、いつもと変わりない元日を過ごしています。

年越し、年初の楽しみはウィーン・フィルのニューイヤーコンサート。生中継の時間までを楽しみに過ごしました。新年最初のワクワク感です。 (さらに…)

THORENS 124

Hello world!

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FM-WOODSTOCK として、ジャズ、ロック、クラシック音楽初期盤通販サイトを営業していました。オーディオ・ファイルの需要に応えて現在はクラシック音楽のレコードを専門に収集、通販中。
初期オリジナル盤は手元から、CDをアマゾンストアを通して紹介しています。

1947rohnb

不滅の指揮者、不朽の名盤

大巨匠フルトヴェングラーが没したのは、肺炎での病死だった。ベルリン・フィルの首席指揮者に在任中のまま後継者を指名できずに世を去った。チェリビダッケを考えていたようだし、ベルリンの新聞はチェリビダッケに風を向けていた。でも、チェリビダッケはフルトヴェングラーとの仲を断ったままだった。
結果、フルトヴェングラーの死後、ベルリン・フィルの首席指揮者はヘルベルト・フォン・カラヤンが後を受けた。病床で知らせを感じていただろうフルトヴェングラーには歯がゆいことだったでしょう。フルトヴェングラーがライバル視して、事あるごとに(あらが)っているのを現代から振り返ると、足掻(あが)けば足掻く程カラヤンの格を上げてしまったように見える。
Erich Röhn violon/violin - Arthur Tröster, violoncelle/cello  NDR Orchester, Hamburg, 22.IX.1947
1954年11月30日に68歳で没したフルトヴェングラーの、60回目の命日を迎えた。 (さらに…)