通販レコードのご案内汗が散る様子すら容易に目に浮かぶ。ミルシテインの感情が深いところから完全に音にのって現れてくるのが伝わる。
《米ダーク・グリーン金文字盤》US CAPITOL P8382 ミルシテイン ドヴォルザーク・ヴァイオリン協奏曲 20世紀を代表するヴァイオリニスト、ナタン・ミルシテインの神髄が味わえるアルバム。ミルシテインが最も得意としたドヴォルザークとグラズノフのヴァイオリン協奏曲をカップリングしたもの。澄み切った美しい音色と卓越した技巧で、作品の魅力を巧みに引き出している一枚。 後にミルシテンを尊敬するフランク=ペーター・ツィンマーマンが、彼へのトリビュート・アルバムとして同じドヴォルザークとグラズノフをカップリングしたCDを録音したほど強い影響力をもった演奏が展開されています。
使用楽器は高名なストラディヴァリウスで、楽器の制作時期は黄金期ではあるが一級の名器に比べるとやや音量が少な目の楽器だという。ストラディヴァリウスと言っても同一作者が楽器を一本、一本、作り、調整していたわけでないことは近頃では判明していること。細身に聞こえても演奏者の腕の衰えと捉えるのはおかしい。
長谷裕二さんの説明書きでは、しばしばミルシテインの美音がカラヤンにダメにされたと強調するような書かれ方をしているようですが、その根拠気にかかります。
しかし本盤を聴けば、この楽器の潜在能力をミルシテインが十分に引き出していたに気づくと思います。一挺のヴァイオリンがフルオーケストラに引けをとらない存在感を示し、完全に対峙している。ドヴォルザーク、グラズノフのヴァイオリン協奏曲にぴったりではないか、作曲家が個性を押し出した音楽の感動を与えてくれることを如実に証明してくれた演奏です。
通販レコード詳細・コンディション、価格
プロダクト
Milstein, Steinberg, The Pittsburgh Symphony Orchestra – Dvořák, Glazounov – Violin Concertos – Capitol Records P8382
- レコード番号
- P8382
- 作曲家
- アントニン・ドヴォルザーク アレクサンドル・グラズノフ
- 演奏者
- ナタン・ミルシテイン
- オーケストラ
- ピッツバーグ交響楽団
- 指揮者
- ウィリアム・スタインバーグ
- 録音種別
- MONO
コンディション
- ジャケット状態
- EX-
- レコード状態
- EX++
- 製盤国
- US(アメリカ合衆国)盤
通販レコード
オーダーは | 品番 / 34-21045 |
販売価格 | 11,000円(税込) |
初期盤・クラシックレコード専門店「RECORD SOUND」
ナタン・ミルシテイン( Nathan Milstein )は1904年12月31日、ロシアのオデッサ生まれのヴァイオリニスト。1992年12月21日、ロンドンにて没。1916年、ペテルブルク音楽院でレオポルト・アウアーに学び、1923年にデビュー。革命直後のソ連国内で演奏旅行中ピアニストのホロヴィッツと出会い、2人はジョイント・リサイタルも行い生涯の友人となった。1925年、国外に演奏旅行に出たが、スターリンの独裁が始まり、故国に帰ることができなくなった。1929年、アメリカ・デビューを果たし、大成功を収める。第2次大戦中、アメリカに帰化してニューヨークに住み、磨きぬかれた気品漂う演奏で、20世紀最高のヴァイオリニストの一人と称された。
ウィリアム・スタインバーグ( William Steinberg )はかつてコマンド・レーベルのブルックナー〈交響曲7番〉や、ドイツ・グラモフォンのホルスト〈惑星〉などといった快速演奏で知られた名指揮者、1899年、ケルンの出身で幼少から楽才を発揮、ピアノとヴァイオリン、作曲を学び13歳のときに、ローマ詩人オヴィディウスの『変身譚』に基づく合唱と管弦楽のための作品を書き上げて指揮、初演するという天才でドイツでの名前はハンス・ヴィルヘルム・シュタインベルクでした。その後、ケルン音楽院でピアノをクララ・シューマンの弟子に、指揮をアーベントロートに師事したスタインバーグは優秀な成績で卒業、ケルン歌劇場のオーケストラに第2ヴァイオリン奏者として入団するのですが、ここで当時の首席指揮者、クレンペラーにボウイングの面で怒りを買い解任されることになってしまいます。しかし、クレンペラーは解任したスタインバーグを今度は自分のアシスタントとして雇い、3年後の1924年には自身の代役としてアレヴィの『ジュイーヴ』で指揮者デビューを飾らせることとなります。その翌年、かつてクレンペラーがマーラーの推薦で指揮者を務めたプラハのドイツ歌劇場の音楽監督となり、1929年にはフランクフルト歌劇場の音楽監督に就任、シェーンベルクの『今日から明日まで』の初演などもおこなっています。しかし1933年にはナチによってポストを追われ、その後、準備期間を経た1936年、フーベルマンと共にパレスチナ交響楽団設立という大任を果たしています。
設立後ほどなくしてパレスチナ交響楽団を訪れたトスカニーニは、スタインバーグの指揮を大いに気に入り自身のアシスタントとしてアメリカに招き、1938年から1940年までの間、NBC交響楽団を数多く指揮させることになります。以後、ニューヨーク・フィルやサンフランシスコ歌劇場での指揮を経て、1945年、バッファロー・フィルの音楽監督に就任、1952年にはピッツバーグ交響楽団の音楽監督となり、1976年までの四半世紀に渡って良好な関係を築きあげ、途中、1958年から60年にかけてロンドン・フィル、1969年から72年にかけてはボストン交響楽団の首席指揮者も兼任するなどして、退任から2年後の1978年、ニューヨークで生涯を終えています。
スタインバーグの芸風はクレンペラーとトスカニーニに気に入られるだけあってか、無用な感情移入がなく作品の情報を大切にしたもので、それゆえ古典派から近現代作品までレパートリーは幅広く実演では多彩な演目を取り上げ、また、当時、勢いを伸ばしていた新興レーベルの米キャピトルと組んだ数多くのレコーディングでもその手腕を発揮していたものでした。スタインバーグが最も積極的にレコーディングを行ったのはピッツバーグ交響楽団音楽監督の時代で、米キャピトル・レコードのプロデューサー、リチャード・C・ジョーンズと共に行ったピッツバーグにあるシリア・モスクでのレコーディング・セッションの数々は、今聴いても新鮮なものが多い。
時期としてはモノラル後期からステレオ初期にあたり、しかも当時のキャピトルは音の良さでも有名だったため、1952年2月9日から1959年4月16日の7年間にセッション録音された数々はモノラルのものでも聴きやすい水準にあります。特に1956年の録音からはステレオということもあり、スタインバーグとオーケストラの気合いも十分な快演を楽しむことができます。
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