熊本地震は断層がずれた大震災。道路や自宅の床下が地割れ、マンホールは周りに亀裂が出来て膨らみ。橋は道路との境界に段差ができて通行困難になり。
そんな割れた地面から多くの花が咲いているのを見つけて、色鮮やかさに癒やされて、自然の回復しようとする力強さを感じていたら。
そんな美しさだけでなく、現在も玄関から思うように出入り出来ないので避難所生活ですが、夜、避難所のトイレにぞろぞろゲジゲジのような日頃見かけない虫が出てくるようになったと感じていたら、朝になって明るくなったら、寝ている脇に巨大なムカデが居て大騒動しました。
地中深くから出てきたのでしょう。トカゲや蛇も大きな個体を見かけるようになりました。これもまた自然の為すことですね。
水の流れや、小鳥たちの鳴き声、嵐が来て雨が振り、農地が潤い農民たちが嬉しそうにダンスを踊る。今回のきらクラDONは、田園交響曲。ベートーヴェン作曲、交響曲第6番ヘ長調の第1楽章冒頭ですね。
この曲は『運命』と双子で、序奏がなく、いきなり印象的な主題で開始される。ベルリオーズやリストを先駆けた、標題音楽の扉を開いた曲ですが、田園の生活を、そのまま描写したのではなくて、その田園で出会った自然や人々との交流で変化する主人公の心境を描写しています。以前に話しのあった、ケテルビーの「ペルシャの市場にて」の作曲動機とは違うところです。
宮沢賢治の名作、セロ弾きのゴーシュでゴーシュが映画館で、オーケストラと演奏するというのが有る。昔は映画館には、クラシックを演奏できるオーケストラが居ました。サティの音楽はそういう場所で演奏されたんでしたね。
電化の発展で、映画館にオーケストラが必要なくなって。家庭にテレビが当たり前になって。自然との関わり方も変わってしまった、と思い驕っていたのは人間だけだったのかもしれないです。
避難所にテレビはなく、ラジオも地震が起こった時にニュースを確認するぐらい。情報は朝、夕届く新聞や、掲示板の張り紙を見逃さないように心がけることが大事で。浴びるように聞いていた音楽を絶たれて、やがて、ふた月が避難所で過ぎました。午後10時の消灯前だけ、静かなプライヴェートな時間になるので目を閉じて、頭の中で名曲を忘れないように思い起こすようにしています。
同日、昼ごろ自宅で倒れ、搬送先の東京都立広尾病院で家族に看取られながら息を引き取りました。葬儀は、5月7日、8日に親族のみで執り行われております。
冨田氏は、日本コロムビアで作曲家としてのキャリアをスタートさせ、 NHK大河ドラマの第1作や手塚治虫アニメの音楽などを多数手がけました。 1970年代からは、シンセサイザーをいち早く導入し、「月の光」や「惑星」など数々の野心的なアルバムを発表。日本人で初めて米グラミー賞にノミネートされるなど、世界的な評価を受けています。近年では、2012年にバーチャル・シンガーの初音ミクをソリストに組み込んだ「イーハトーヴ交響曲」を発表し、国内外で上演を重ね話題となりました。また、今年11月に上演予定の新作「ドクター・コッペリウス」の創作活動を逝去の直前まで行っていました。
ラヴェルのバレエ組曲「マ・メール・ロワ」はアナログレコードから、デジタルに変わり。CD時代の幕開けを飾った時も同じものでした。ラヴェルはフランスのオーケストラの個性的な楽器の音色で、それまで無かった色彩感を作り出しましたが、それを楽器の制約に規制されない電子音響で再構成したのが冨田勲さんの素晴らしさでした。
トミタ・サウンドが世界中を驚かせた第一作、『月の光』がドビュッシーのピアノ曲をシンセサイザーで演奏した内容で、ドビュッシーとラヴェルはフランス音楽を代表する色彩的な作曲家であることなど、不思議な因縁を感じます。
2016年3月23日に発表されたばかりの冨田勲氏の最新作です。
前作「スペース・ファンタジー」に続く第2弾オムニバスアルバム。トミタのシンセサイザーサウンドの色彩感ともっとも親和性の高いフランスものから、ラヴェルの「亡き王女のためのパヴァーヌ」と、「マ・メール・ロワ」がメインのプログラムとなる。さらに好評を博したトミタの最新作「イーハトーヴ交響曲」により明るみになった冨田の宮沢賢治への思慕が、今回のアルバムにも刻印されることとなる。
具体的には、「賢治最愛の妹トシから賢治にあてた架空の手紙」を音世界で描いた「オホーツク幻想」が冒頭に置かれているのが特徴だ。さらに、トミタのシンセサイザーによる最も初期の作品でファンの間では「まぼろし」とされていた「銀河鉄道の夜」(TBSブリタニカの付録で音源化されたのみで初CD化)がアルバムの末尾に置かれている。
つまり聴くものはたちまち北方オホーツクへのノスタルジーと憧憬に満ちた音世界に没入し、さらに、視線は旋回し、フランス中世の幻想世界(=亡き王女、マメールロワ)へと至り、その先にはまた、賢治が描いた天空の銀河へと至る、という幻想が大きく弧を描き宇宙へと飛翔するような大きなコンセプトに貫かれているアルバムである。
物心がつき始めた頃、機嫌が良いとおもちゃの太鼓を叩いて遊んでいたと母親が語ってくれた。その叩き方で、怒っているのか楽しいのかが分かったと言っていた。そして、家事仕事をしていても太鼓の音がしている間は、どこに居るかわかるし良かったとも言っていた。
静かにしていると思うと、庭の池に反射して白壁に移る光のゆらぎを眺めていた。風が強く吹く日は、電信柱の電線が唸る音に興味を持っていた。太鼓やラッパといった楽器以外でも音を出す物があるんだと気づくように成るのですが、ああいう物音にも音階が有るのだとは知らなかった。
冨田勲さんの音楽との出会いは、とっても幼い時からだと思う。多分、人形劇に連れて行っていた頃に耳にしているでしょう。楽器でない音の音楽を。
だからでしょう。始めて『月の光』のアルバムを聞いた時に突拍子も無い斬新な仕事だという印象は持ちませんでした。『惑星』は宇宙船の音が模倣されていて面白いなとは思いましたが、むしろピアノの音を電子音に割り振ってしまったこと、無限大の音色のパレットが可能なこと、そのショッキングなことは感動に近く、今後も忘れないでしょう。
以前、初音ミクの仕事をされた時。その仕事を終えられた時。それまでの大きな機材を一切忘れて、コンパクトなシステムでこれからはずっとやりたかったことをゆっくりやりたい、ということをインタビューで答えられていたと記憶しています。
タブレットが一つあれば、音楽を奏でること、作曲することが可能です。それが、リアルタイムで世界中と共有できるなんて、部屋の一室をまるごと電子機器が占領してしまうようなシンセサイザーから音楽を紡ぎだした魔術師は、わたしが想像する以上に驚きと嬉しいことかと思いました。
いくつか作りたい音楽が有ると言っていましたが、それは幾分かでも叶ったのでしょうか。
The post 音色には無限のパレットがあること、子供心に夢を与えてくれた人がこどもの日に・21世紀の音の魔術師、冨田勲さん逝く。 first appeared on Classical Notes.]]>そこでなぜ、この第41番に『ジュピター』と愛称がついたか興味をもつと面白い説明に出くわす。『ジュピター音型』というのが曲に使われているらしい。ところが、モーツァルトの交響曲第1番には同じジュピター音型が、すでに登場していることも興味を持ってくると解説されているものに出くわすことになる。
ジュピター音型とは、「ド・レ・ファ・ミ」の音階で、現存する最初の交響曲である《第1番》に、最後の交響曲である『ジュピター』に現れる音型が既に用いられていることに、ある、宿命的な連鎖を感じてします。
モダン・オーケストラで聴くか、ピリオド・オーケストラで聴くか。演奏スタイルの好き嫌いの是非は問わず、図書館で借りて聴き比べて欲しいのが次のふたつのセット。とても良い経験になります。
モーツァルトの交響曲全集の定番か。カール・ベームがベルリン・フィルを使って録音しており、カラヤンのオーケストラをベームが指揮したことで、音楽的には個性のない仕上がりで最適。第1番から41番を演奏。しかし、37番は演奏していなくて、全46曲を録音している。計算式にすると、(1…41)-37=46曲。
モーツァルト:交響曲全集
こちらがモーツァルトの交響曲全集では最大規模。ホグウッドは37番も録音していて、総曲数は71を数える。モーツァルトの時代の楽器を使って、オーケストラのチューニングも当時は現代よりもピッチが低かったということで取り組まれ全世界的に注目された。ニックネームの有る有名な交響曲は1枚ものでリリースされ、アナログレコード時代に話題に成った。
第40番はクラリネットの有る楽譜と、クラリネットの無い楽譜の2種類が残っている。作曲の依頼主のオーケストラにクラリネット奏者がいなかったから、それに合わせて一旦渡した楽譜だったが、後にであった名クラリネット奏者に触発されてクラリネットを追加した楽譜を書いたのかどうかは不明。でも、クラリネットの有る無しで楽曲全体の印象が異なる。大抵の演奏においては指揮者の判断で両方をブレンドしたような演奏がされている。ホグウッド版は、折半した演奏ではなく各々で全曲を録音しているので幾つかの曲は同じ交響曲の異稿版も含んでいます。その為、ベームの全集はCD10枚組で、ホグウッドの全集はCD18枚組だ。
ここから本題。モーツァルトの交響曲の数え方には説明がいる。ケッヘルが最初に41曲と連番を振ったことも障害となっていて、不便な混乱をも強いる。
CDの交響曲全曲集を手にした人は、どこから聞こうかなと曲目一覧に目を通した時に、まず不思議に思うことがあるだろう。後期3大交響曲は、39番、40番、41番で問題ないが、後期6大交響曲となると36番からではなく、交響曲第35番《ハフナー》からとなっている。35、36《リンツ》、38、39、40、41《ジュピター》だ。
37番はどこへ行った?… CDについた曲目表を目でおって、指で指し示しながら、探すだろうが、まず、どこにも37番がない。なぜだろうか。
モーツァルトの最初の交響曲は1,764年に、最後のものは1,788年に書かれた。モーツァルトの交響曲について書いた多くの解説には作曲家としての成長で、その作品も大きく変貌したと《ジュピター》を優れていると評価している。でも、これは確かに人間としての成長はあるが、モーツァルトにこと関しては人間の成長と作品の発展を混同する間違いを犯したらいけない。
モーツァルトの交響曲のスタイルの変化は演奏するオーケストラや場所の条件や、対象とする聴き手と密接に関連している。
昔から番号のついた41の交響曲のうち2番、3番、11番、37番はモーツァルトの作曲としてはカウントしない。― しかしながら、前述の37番は、正確には短い序奏だけはモーツァルトの筆である。
そこで、41から4つを引いた、37曲に近年発見された K. 19a と K. 45a が、それぞれ番号無しだが追加されて39となる。しかしながら、ハフナー・セレナーデから交響曲第35番《ハフナー》が生み出されたことは知られることで、同様の曲はハフナーだけでなく、13曲が存在し、これらも交響曲にカウントできる。そうでないと、交響曲第35番《ハフナー》は交響曲ではないということに成ってこんがらがる。
ということで、モーツァルトが以前の作品から創りだした13の交響曲を加え、モーツァルトの交響曲の総数は52となる。
The post モーツァルトの交響曲は何曲でしょうか? ー ケッヘルは最後の交響曲『ジュピター』を第41番としましたが、最小で37曲、多いのだと71曲の全集が有る。 first appeared on Classical Notes.]]>画像にオンマウスで、別画像を表示します。外部スタイルシートを使用せず。
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The post CSS で可能 画像のロールオーバー first appeared on Classical Notes.]]>さて、第163回のきらクラDONはフランツ・リスト作曲、超絶技巧練習曲から「マゼッパ」の冒頭でしょうか。もう一音、次の音が聞こえれば確信が持てるのですが。すぐには解らないで、直感的に感じたのが「フランス風の曲だな。バロック音楽でチェンバロの曲をピアノで演奏したのだろうか。」しかし、同時にショパンの姿がちらついたのです。ショパンのテイストも感じられるけれども華やかだから、リストかしらと行き着いた次第。なるほど、この曲はフランスで披露するために作曲されている。
しかし、手元のCDで幾つかの演奏を比較すると、和音を同時に弾いているタイプと時間差をつけて分散させている長さがピアニスト次第で違う印象になるものですね。改めて新鮮な発見でした。毎週何かを番組から発見させられています。感謝します。
The post NHK-FM「きらクラ」で、ちょっとした未来予測を楽しんだ。 first appeared on Classical Notes.]]>スイートなタイトルだけど、曲はロマンティックだけれども、甘すぎず、ドラマティックすぎず。50年間の間に、酸いも甘いも一通り味わった夫婦の手元に残ったものは何なのか、そんなことを教えてくれる気がします。クライスラーの『愛の悲しみ』も、悲痛な重々しさではなく『悲哀』が相応しいと思いませんか。
バレンタインということで今日は『愛の喜び』をはじめ「愛のメロディー」が番組で選曲されているかな、と思いますが、わがまま。ブラームス作曲の「ワルツ第15番」をリクエストします。
「16のワルツ」作品39はピアノ連弾曲ですが、そのやわらかな曲調から『愛のワルツ』と呼ばれる事もあるのが第15番です。2分足らずのとても短い曲ですが、とっても自然にゆっくりと、やさしくピアノの響きを聴かせてくれる曲ですから、聴いていると、とても落ち着きます。そして、ヴァイオリンやチェロでの演奏でも親しまれていますね。
これのオーケストラ演奏版を聴かせてください。「のだめカンタービレ」やコマーシャルで使われているので、タイトルはわからないけど必ずどこかで聴いていますよ。虜になると別れられなくなります。
The post バレンタインで結ばれたカップルたちへ、祝う音楽『金婚式』 first appeared on Classical Notes.]]>南米の音楽が聞こえてきそうなジャケットのデザインだけどロシアの音楽のアルバム。1960年代に発売されたレコードに、亡くなる前のライヴ録音を追加してある。
ネイガウスに支持して同門のリヒテルとは親しかった。第二次世界大戦に翻弄されたピアニストの一人で、中国のハルビンで生まれ上海で活動をしているので日本の軍隊との関わりがあったのだろう。父はスパイ容疑で銃殺、母も収容所送りという悲劇に見舞われる。
当時は現代作品を取り上げるのに勇気のいる状況だったが、彼はプロコフフィエフやシェーンベルク、ヒンデミットなどの作品のソ連初演を行った。1980年代になり、ようやく西側諸国での演奏活動が許可され、世界的に高い評価を受けるようになった。58年ぶりの来日を目前にして、93年に亡くなった。
現代作品も今では特別と感じないピアノのポピュラーなレパトリー。敷居が高いと感じないで聞いて欲しい、モノラルで録音は古さを感じるがアナトリー・ヴェデルニコフの演奏は躍動的で耳を奪う。今、ペトルーシュカやプロコフィエフ、バルトークのソナタを学ぼうと思うピアノの学習者には良い手本となるはずだ。
| Igor Stravinsky | Petroushka Suite |
| Recording: | 1963, studio recording, Moscow |
| Sergei Prokofiev | Piano Sonata No.5 |
| Recording: | 1959, studio recording, Moscow |
| Galina Ustvolskaya | Piano Sonata No.2 |
| Recording: | 16.06.1992, live recording, Pinneberg |
| Performer | Anatoly Vedernikov – piano |
| Bela Bartok | Sonata for 2 pianos and Percussion |
| Performer | Sviatoslav Richter, Anatoly Vedernikov – pianos Ruslan Nikulin, Valentin Snegirev, Andrey Volkonsky – percussion |
| Recording: | 02.10.1956, live recording, Moscow |
十代なかばで両親と引き離され、海外での演奏活動が制限された。このことは、ロシア以外では存在すら殆ど知られないことの理由となった。
1980年代に入るとペレストロイカにより、ロシア(ソ連)以外での演奏活動もできるようになり、西側諸国での演奏会は好評を博した。ヴェデルニコフの演奏のレパートリーは広い。バロックからロマン派、印象派、現代音楽にいたるまでの音楽に精通していた。ピアノのペダルの使い方も足さばきの俊敏さに長けた秀逸さで、一つ一つの音が透き通って聞こえるヴェデルニコフのピアニズムは無二である。
再放送は成人の日の朝になるから、「きらクラDON」のチャンスは日曜日の本放送だけかな。
いつもであれば、番組が始まって最初の音楽の後で「きらクラDON」のコーナーに成るのですが、すぐに「BGM選手権」のコーナーがスタート。
NHKの番組表を確認したら月曜日の朝の再放送はあることがわかった。
おやつの支度をしていたら、「きらクラDON」のコーナーが始まった。いきなり出題で戸惑った。そうだ、年末には出題がなかったのだ。だから答え合わせはなく出題だけが行われた。
映画で使われていたクラシック音楽の全曲を聞きたいと相談を受けます。気にかけながら映画を楽しんでいますが、ギャング映画はちょっと苦手。でも、ゴージャスなオペラはよく使われていますね。
イタリア映画『ゴッドファーザー』の最後で使われているクラシック音楽が今日の解答ですね。ピエトロ・マスカーニ作曲 歌劇「カヴァレリア・ルスティカーナから間奏曲」。第158回のきらクラDONは、この冒頭ですね。
この歌劇『カヴァレリア・ルスティカーナ』の舞台はシチリア地方。だからマフィアの映画で定番なのでしょう。ジョヴァンニ・ヴェルガの短編小説が原作で、小説の脇役が主人公になっています。プロスペル・メリメの小説が原作の『カルメン』も“僕”という第三者が、カルメンとホセの顛末を語っている。
映画『ゴッドファーザー』の映像も、ファミリーの繁栄と
《間奏曲》は弦楽器のアンサンブルとハープの彩りにパイプオルガンが敬虔な祈りの精神を演出しています。オペラとしては上演時間が短い一幕物で、《間奏曲》では舞台転換は行われなくてハープとオルガンは舞台上にある。実際の演奏はオーケストラ・ピットにもあるハープが奏でますが、舞台装置として必要な存在です。
また、小説では血生臭い結末に至るまでリアルに描写されているトゥリッドゥとアルフィオの決闘シーンはオペラでは、教会でミサが行われたあと「トゥリッドゥさんが殺された」という女の悲鳴が2度響き、村人の驚きの声と共に決闘があったことが告げられて、幕。演出の手法としては発明と言って良いんじゃないかしら。ギャング映画のラストシーンが主人公の無残な死に様を直接描かないのに引き継がれているように感じます。
初演後3年間のうちに、イタリアの66都市、イタリア国外の62都市で『カヴァレリア・ルスティカーナ』は上演された大ヒットと成った。1時間ちょっとのオペラだけど、短いなりに観るものに考えさせる強烈さがあるのでしょう。作曲家自身が指揮をしたレコードが、それも二種類あることもクラシックでは珍しいのではないでしょうか。
わたしが初めて買った「カヴァレリア・ルスティカーナ」の全曲盤が、このマスカーニ自身の指揮で録音されたイタリア盤でした。ラジオで聞いた《間奏曲》を気に入って、オペラなら序曲やアリアはどうだろうとレコード店に出かけて行って購入を決めたものでした。日本語訳はついてなかったけど、短いオペラで話の流れは大体把握できていたからでした。それが輸入盤でオペラを聴くきっかけだったと言えそう。カラヤンの録音でも、日本語訳が出来てから日本盤が発売されていた時代ですし、随分と日本盤で紹介されていない未知のオペラ全曲盤があるのを知りました。
初演は1890年5月17日。このオペラは発表にあたって著作権で揉めました。このオペラの作曲の動機はソンゾーニョ社の一幕物オペラ・コンクール ー ソンゾーニョ・コンクール(第2回)の募集要項は、同社の雑誌“ Il Secolo ”誌および“ Il Teatro Illustrato ”誌の1888年7月1日号に掲載された。 ー の募集をマスカーニが知ったことに端がある。1等3,000リラ、仮に2等であっても2,000リラの賞金はイタリア南部チェリニョーラで音楽教師をしていたマスカーニの、ほぼ年収相当の金額を意味したし、ここで高評価を得れば彼がイタリア楽壇に再認識されるのも疑いなかった。
友人の協力で台本を得、マスカーニは著者ヴェルガのオペラ化許諾を得ないまま作曲を進めてしまっていた。著作権がどうこうなどあったかどうか、コンクールに提出する期限が11ヶ月しかなかったので作曲に取り組んで忘れてしまったのかもしれない。あるいはコンクールに応募する作品だから必要に思わなかったのかもしれない。
それでも、事後承諾を試みたとき、初めヴェルガは自身の戯曲を一字一句に至るまで忠実に再現することを望んだが、マスカーニは「これはあなたの『カヴァレリア』を忠実に再現するものです」と返答して了承を得た。両者が合意文書に署名したのはコンクール応募前の1889年4月になっていた。しかしそこで交わされた覚書は金銭面の具体性を全く欠いていた。これはオペラ作品が大成功を収めることをマスカーニもヴェルガも想像していなかったことの傍証ともなろう。二人も驚くほどのオペラの大ヒット。ヴェルガは訴訟を提起。ソンゾーニョ社がヴェルガに14万3,000リラを支払うことで和解成立となった。
これには
しかし今度はソンゾーニョ社とマスカーニから同作品の上演停止を裁判所に訴え、今回は彼らの全面勝訴となりモンレオーネ作品の以後の上演は ー 少なくともイタリア国内では ー 禁止となった。斯くも上演権は血なまぐさいことは起こらなかったが、出兵中に恋人が別の男と結婚していて、男二人が決闘で一人の女性を自分のものとするオペラのストーリーを
今年も残り10日あまり、クリスマスに新年にと仕事を前倒して片付けなくてはなりません。月初に行えば良いことも年の瀬が差し迫らないうちに処理しなくてはいけません。どこの職場も同じ状況でしょう。そうした忙しいオフィスの情景をユーモラスに描写しているのが、ルロイ・アンダーソン作曲 「タイプライター」。第157回のきらクラDONは、この冒頭ですね。慌ただしさを控えてラジオを聴いていたので、聞き違えでしたら残念。
この曲がステージで演奏される時に、かばんを抱えてステージに登場した奏者が、
でも、この曲を始め、ルロイ・アンダーソンの音楽は大好き。一年間のうちに何度かはじっくり聞きたくなります。ベートーヴェン、ブラームスを小学生の頃から聞いて育ちましたけれども、ルロイ・アンダーソンの楽しい音楽も傍らに有りました。その両輪が今の音楽趣味の元になっていると振り返ってみました。
それと、ルロイ・アンダーソンも没後40年と、今年がアニヴァーサリーなんですね。「そりすべり」やクリスマスのメロディーをメドレーにしたボストン・ポップスのために作曲された「クリスマス・フェスティヴァル」など、作曲者を意識していないで毎年、楽しんでいますね。どんな顔かしら、とイメージが湧かないのもクラシックでは珍しいのではないでしょうか。
ふかわさん、真理さん。皆さん、クリスマス・カード、年賀状はもう準備万端でしょうね。今はパソコンで用意しますから、タイプライターを使うことはないですが、それでも忙しそうにプリントしている様子を眺めていると「タイプライター」のリズムが聞こえてきて愉快になります。新年も楽しく、勉強になる番組を楽しみにしています。良いお年をお迎えください。
仕事に追われ、忙しいオフィスの情景をユーモラスに描写した楽しい音楽は、終戦間もない1950年に大ヒット。
[signoff]The post 仕事に追われ、忙しいオフィスの情景をユーモラスに描写した ― ルロイ・アンダーソンの《タイプライター》 first appeared on Classical Notes.]]>遠藤真理さん、おかえりなさい。春に新しい生命の息吹を得て、順調に成長する夏。秋を迎えて、良い気候の中での出産となりましたね。2015年、いろいろ起こった一年でした。
目の前に迫ったクリスマス。仕事の行き帰りの商店街、通りの老舗
という流れで、第156回のきらクラDONは、プッチーニ作曲 歌劇「ラ・ボエーム」の第2幕からムゼッタのワルツの冒頭、、、というより導入ですね。
クリスマスの夜。出会った若い詩人ロドルフォと、お針子ミミ。カルチェ・ラタンには大勢が繰り出し、お金持ちのパトロンとやってきたムゼッタが、元カレだったマルチェッロを見つけるとからかい半分に誘惑の歌をうたう。それが、この曲。『わたしが街を歩くと、男たちが振り返る。熱い視線でわたしの頭の
オペラの上演では雑踏の笑い声などにかき消されそうに聴こえてくる『きっかけ』のような短いけど特徴的なフレーズですね。まさか、ここだけを抜き出して出題になるとは想像してませんでした。しばらくは、フランスの20世紀の作曲家か、今年がアニヴァーサリーの作曲家の曲かしらとオペラからの出題とは思いが巡らずに、解答を断念する覚悟でした。
本年度のレコード・アカデミー賞の発表、新年のウィーン・フィル、ニューイヤーコンサートの曲目の発表の解禁とクラシック音楽情報も年末、年始の趣です。恒例の第九のレコード鑑賞会の準備をしていて、解答を導き出せました。
ソプラノのコケティッシュな唄で、『カルメン』の歌う「ハバネラ」と同趣向の性格である。元カレを誘惑してからかう歌。ビゼーのカルメンと似たシチュエーションながら、欲情の香気を撒き散らすカルメンと比べ、ムゼッタ役は可愛い目のソプラノが歌うので、そこがなんとも姿と言葉の似つかわさない良かあんばい。
[one_half]私が一人で街を行く時、
人々は立ち止まって見つめるの
そしてみんな、私の美しさを私の中に探すの
頭のてっぺんから足の先までね・・・。
そして、ゆっくり味わうの
すると、鋭い熱望が目に表れるのよ。
そしてあからさまなその仕種で分かるの
隠された美しさが。
こうして欲望の香気は私をかき乱すの、
私を幸せにしてくれるのよ!
で、あなたは分かってるんでしょ、思い出しては苦しんでいるのね、私の元へ逃げてきたいんでしょ?
私、よく分かってんのよ、あなたが言いたくない不安を、
あなたが死にそうだってこともね!