たった一小節の弦楽器の分散和音ののちに、直ちに独奏ヴァイオリンが悲しげな笑みをたたえた優雅な主題を歌い出す。4月24日放送のきらクラDONは、メンデルスゾーン作曲《ヴァイオリン協奏曲 ホ短調》第1楽章の冒頭ですね。
あまりにも短い出だしで独奏ヴァイオリニストは緊張を強いられるとされる。名ヴァイオリニスト、アドルフ・ブッシュがコンサートで弾くつもりでいたのはベートーヴェンの《ヴァイオリン協奏曲》でしたが、ステージに立ってオーケストラが引き出した前奏はなんとメンデルスゾーンの《ヴァイオリン協奏曲》だった。アドルフ・ブッシュは慌ててヴァイオリンを構えて弾きだしたが、大汗をかいたという。名ヴァイオリニストだったからに限らずに、短いのに印象深い冒頭ですね。
このヴァイオリン協奏曲はメンデルスゾーンが指揮者として引率していたライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団のコンサート・マスターを務め、メンデルスゾーンの右腕と成って活躍していたフェルディナント・ダヴィットに約束していたのですが、完成まで6年経過した。辛抱強く待ってくれたのは余程信頼が厚かったのですね。
どうしてそんなに完成まで年数があったのか。この間、セシル・シャルロット・ソフィ・ジャン=ルノーと幸せな新婚生活を過ごし、ダヴィットの助言を忠実に聞き入れながら慎重に作曲を進めたのでした。だからでしょう。どの一小節にも魂が宿っているようです。第二次世界大戦中、アドルフ・ヒットラーはユダヤ系作曲家、メンデルスゾーン、マイアベーア、マーラーの演奏を禁じますが、このヴァイオリン協奏曲は作曲家名を伏せて演奏、録音されているのも武力によって世界制覇を志したヒットラーといえども、聴きたいと思う名曲の力があったことは暗い時代に数少ない明るい話題に感じます。
熊本地震。今感じていることは、その地名に左右されたな、ということです。避難所で高齢者というより代々住んでいる方の言葉で「あそこん土地は昔は葦のいっぴゃあ生い茂っとるところだったけん」というのを、いくつも聞きました。
私の家のまわりでも、畑や田圃だったところを整地して住宅街が昨年はたくさん建ち並びました。宅地に改められた土地を買って建売住宅を購入した場合、気が付かないことかもしれない。おしゃれな名前、日本各地に良くあるような名前に変わっていたりします。どうか、地区の自治会には必ず参加して古老の話を聞く機会を作りましょう。戦前の話、明治以前の話と深く自分のクラス土地の歴史、地名の由来を知る勉強にもなります。
The post 創る物と奏でるもの。絆のために根気よく。6年間かけてヴァイオリニストの助言に忠実に。 ー メンデルスゾーンの姓は、メンデルスゾーン=バルトルディ first appeared on Classical Notes.]]>クラシック音楽大楽(学)の門は広く出口は見えない。新入学生は友達100人出来るかな、と期待を胸にやって来る。NHKラジオ放送「音楽の泉」の主題曲としてもおなじみ。この『第3番』は、シューベルトの存命中から愛好され「エール・リュス」(ロシア風歌曲)として有名でしたが現代では日常沙汰の著作権には無頓着。死後数多くの作品が残ったのは、友人たちが熱心に楽譜を出版してくれた賜物でした。
生涯就活に
フランスの作曲家、エドゥアール・ラロの《スペイン交響曲》の第1楽章の冒頭、が第168回 きらクラDONの答えですね。クラシック音楽には興味があって、わかるように聴いてみたいと思いながらも挫折しているって人には、疑問を持たせることが第一。CDショップのクラシックコーナーに初めて配属されるスタッフに最初に慣れさせるのが、ジャンル別に陳列できるか。これが思いの外、ジャズ・コーナーやロック・コーナーに移った時の理解の早さに活きます。
クラシックコーナーは『交響曲・管弦楽曲』、『協奏曲』と分かれているものです。ラロの『スペイン交響曲』は曲名に交響曲とあるのに、なぜ、ヴァイオリン協奏曲のジャンルに有るんですか、と質問が出るようだと教えやすい。ヴィヴァルディが協奏曲を三楽章形式で、しつこいほど多くの曲を残して、ヴィヴァルディは協奏曲を500曲作曲したんじゃなく、500通り書いたんだと云われるほど。同時代のテレマンが4,000曲を残していて、『ギネス世界記録』においてクラシック音楽の分野で最も多くの曲を作った作曲家として正式に認定されていても、テレマンの協奏曲は様々な形式があるのと比べてもヴィヴァルディがいかに執着していたのかが感じ取れます。
それが現在、協奏曲は三楽章という雛形になったわけです。さて、ラロの『
それで年配の方には《マドンナの宝石》、、、当時は『聖母の宝石』の方が耳馴染みの題名でしたが、この曲が大好きだという方が多いです。テーマ音楽が何かNHKに問い合わせて知ったとか。わたしも地元のNHKに曲名を教えてもらったことも有りました。次第に東京に問い合わせますから、曲が放送されている時じゃないと判りませんと断られるようになり。、、、それも良い思い出の時代です。
この番組では主に室内楽曲が選曲されていましたが、交響曲や協奏曲の華やかな音楽と比べ室内楽曲は曲名も記憶に残りにくいものですが、クラシック音楽を楽しめる耳を育てます。
音楽を、ただぼんやりと聴いているだけではダメなのです。まず、しっかりメロディーを聴く。これは、まあ誰でもやることです。次に一番低い音を聴く。室内楽だとチェロやコントラバス、ピアノの低音の和音。低音の旋律に耳を澄ませば、高音まで多層的に聴く鍛錬になります。音痴でも、絶対音感が有るか無いか判らなくても、クラシック音楽が楽しみやすくなるでしょう。様々な楽器の音色の絡みあいや、ダイナミックな音楽は情操を育てますが、室内楽曲を数々聴いている程に音楽を思考する力がつきます。
きらクラDONも、意識して音楽を聞く習慣を育てますね。そう言えば、ヴォルフ=フェラーリも音楽学校は卒業していないとか。ところで《マドンナの宝石》はヴォルフ=フェラーリ作曲の悲恋オペラの第2幕の《間奏曲》ですが、出題は組曲版の第二曲でしたか。弦楽の主題の箇所から出題されたのですぐに曲名がわかりましたが、ハープの伴奏にのってフルートソロで始まる版もありますね。
The post 名曲《マドンナの宝石》が教えてくれる、クラシック音楽の聞き方の秘訣とは ー 天は二物を与えずこそ、哀愁に満ちたメロディーに感動するのは日本人も同じ。 first appeared on Classical Notes.]]>『ラクダに乗った隊商が近づいてくる。市場の乞食たちが「バクシーン、バクシーン(お恵みを)」と叫んでいる。そこへ美しい姫の到着や、奇術師やヘビ使いのショー、カリフ(太守)の行列の通過がある。再び乞食が叫び、姫が帰り支度をし、隊商は出発し市場は静かになる』作曲したケテルビーが書いている通り、エキゾティックな風景が感じられるメロディー。放送局のディレクターを担当していたケテルビーが、とある番組の穴埋めのために急遽作曲したということです。
ところで、ふかわさんが聴いていたチャイコフスキーのバレエ組曲「くるみ割り人形」に入ってなくて悔しがってた、《チョコレートの精の踊り》には別に『スペインの踊り』がついています。同じく《コーヒーの精の踊り》は『アラビアの踊り』となっていて、チョコレートやコーヒーは南米じゃないかしら、と思うところ。なぜ『アラビアの踊り』が「コーヒーの精」なのかを考えると、コーヒーの起源がエチオピア説とアラビア説の2通りあることを思い出しませんか。イスラム教徒の間で体調を整え、気分を高揚させる薬として広まってロシアに伝えられたのでチャイコフスキーとしては、コーヒーは東洋風の印象があったのかもしれません。
さて、ケテルビーは《ペルシャの市場にて》を作曲するにあたってペルシャの音楽を取材しているわけでもなく、現場で演奏家に支持して曲作りしたものと思われます。しかし、オリエンタリズムに基づいた異国趣味的な作品を多く遺しており、日本の国歌「君が代」をモチーフとして用いた《日本の屏風から》も楽しいですよ。
ちなみに、「ケテルビー名曲集」とあっても演奏家次第で選曲が異なり、聞きたい曲が入ってないことも多いです。
The post 「いつか、どこかで聴いたクラシック音楽」。その代表的な名作《ペルシャの市場にて》〜エキゾティックな風景から聞こえる懐かしく美しいメロディー。 first appeared on Classical Notes.]]>さて、第163回のきらクラDONはフランツ・リスト作曲、超絶技巧練習曲から「マゼッパ」の冒頭でしょうか。もう一音、次の音が聞こえれば確信が持てるのですが。すぐには解らないで、直感的に感じたのが「フランス風の曲だな。バロック音楽でチェンバロの曲をピアノで演奏したのだろうか。」しかし、同時にショパンの姿がちらついたのです。ショパンのテイストも感じられるけれども華やかだから、リストかしらと行き着いた次第。なるほど、この曲はフランスで披露するために作曲されている。
しかし、手元のCDで幾つかの演奏を比較すると、和音を同時に弾いているタイプと時間差をつけて分散させている長さがピアニスト次第で違う印象になるものですね。改めて新鮮な発見でした。毎週何かを番組から発見させられています。感謝します。
The post NHK-FM「きらクラ」で、ちょっとした未来予測を楽しんだ。 first appeared on Classical Notes.]]>今日はバレンタイン。チョコレートはもらいましたか。きらクラDON第162回の曲は、クライスラーの『愛の喜び』。いや、むしろ曲想は『愛の悲しみ』。チョコレートを受け取ったら、その目指す先には … 解答はガブリエル・マリー(父)作曲の《金婚式》ですね。
スイートなタイトルだけど、曲はロマンティックだけれども、甘すぎず、ドラマティックすぎず。50年間の間に、酸いも甘いも一通り味わった夫婦の手元に残ったものは何なのか、そんなことを教えてくれる気がします。クライスラーの『愛の悲しみ』も、悲痛な重々しさではなく『悲哀』が相応しいと思いませんか。
バレンタインということで今日は『愛の喜び』をはじめ「愛のメロディー」が番組で選曲されているかな、と思いますが、わがまま。ブラームス作曲の「ワルツ第15番」をリクエストします。
「16のワルツ」作品39はピアノ連弾曲ですが、そのやわらかな曲調から『愛のワルツ』と呼ばれる事もあるのが第15番です。2分足らずのとても短い曲ですが、とっても自然にゆっくりと、やさしくピアノの響きを聴かせてくれる曲ですから、聴いていると、とても落ち着きます。そして、ヴァイオリンやチェロでの演奏でも親しまれていますね。
これのオーケストラ演奏版を聴かせてください。「のだめカンタービレ」やコマーシャルで使われているので、タイトルはわからないけど必ずどこかで聴いていますよ。虜になると別れられなくなります。
優雅な主題は、クライスラーの《愛の悲しみ》と似た情緒が有る。三部形式の構成はシンプルで、穏やかに始まり華やかで、最後はファンファーレでお祝いを演出する。
昨今では新しい録音自体は見かけないが、演奏技術上も多くを求められないので演奏して楽しまれるタイプ。金婚式のお祝いという目的や、原曲をも超えてヴァイオリン愛好家に広く親しまれている。
The post バレンタイン・デイ … その行方は“愛の喜び”、“愛の悲しみ” 幾年越えて将来は『金婚式』を祝いたいね ー きらクラDONはマリのガヴォット《金婚式》 first appeared on Classical Notes.]]>モーツァルトの音楽は民謡、童謡が始まりに有る。父親から作曲の手ほどきは受けましたが、バッハがまとめ上げた作曲の様式をなぞったわけではなく、様式にとらわれてはいない。そこがモーツァルトの個性としての魅力。
彼がバロック音楽と出会うのはイタリアへの大旅行の時で、最後のジュピター・シンフォニーに結実した。バロック音楽の真髄はこの『ジュピター』に詰まっているといえるでしょう。
「“四季”から“冬”(2000年録音)」 ヴィヴァルディ作曲 (7分42秒)
(バイオリン、指揮)ファビオ・ビオンディ
(合奏)エウローパ・ガランテ
<東芝EMI TOCE-55565>
「歌劇“リナルド”から“涙の流れるままに”」 ヘンデル作曲 (5分38秒)
(ソプラノ)パトリシア・プティボン
(合奏)ベニス・バロック・オーケストラ
(指揮)アンドレア・マルコン
<DEUTSCHE GRAMMOPHON UCCG-1497>
「歌劇“アリオダンテ”から“飛びまわれ、キューピッドたち”」 ヘンデル作曲 (3分49秒)
(ソプラノ)パトリシア・プティボン
(合奏)ベニス・バロック・オーケストラ
(指揮)アンドレア・マルコン
<DEUTSCHE GRAMMOPHON UCCG-1497>
「歌劇“アリオダンテ”から“ぐずぐずと、何をしているのですか”」ヘンデル作曲 (3分19秒)
(ソプラノ)パトリシア・プティボン
(合奏)ベニス・バロック・オーケストラ
(指揮)アンドレア・マルコン
<DEUTSCHE GRAMMOPHON UCCG-1497>
「歌劇“ジュリアス・シーザー”から“私は涙するでしょう、自分の運命に”」ヘンデル作曲 (6分58秒)
(ソプラノ)パトリシア・プティボン
(合奏)ベニス・バロック・オーケストラ
(指揮)アンドレア・マルコン
<DEUTSCHE GRAMMOPHON UCCG-1497>
「ゴールトベルク変奏曲 BWV988(1981年録音)」バッハ作曲 (51分18秒)
(ピアノ)グレン・グールド
<CBS 38DC35>
「交響曲 第41番 ハ長調 K.551“ジュピター”(1963年録音)」モーツァルト作曲 (26分24秒)
(管弦楽)クリーブランド管弦楽団
(指揮)ジョージ・セル
<SONY SICC-1727~8>
バイロイト音楽祭 2015。最終夜は楽劇「神々のたそがれ」。「ニーベルングの指環」4部作のうち4時間半におよぶ最長の大作。その劇的変化に富む音楽をお届けする。あれだけ騒いでいた「石油問題」のテーマは何処へやら、ノートゥングを帯刀していないジークフリートは手持ち無沙汰だ。散漫で雑駁な演出もキリル・ペトレンコの音楽の素晴らしさに救済された。
ワーグナーが粋を尽くした精緻かつ壮大な音楽を、些かも粗暴に陥らせず、曖昧混沌たる音にもせず、かくも明晰に瑞々しく、しかも表情豊かに響かせる指揮者は、決して多くないだろう。たっぷりした豊潤な音でありながら、引き締まって無駄のない響きである。もっとも、ペトレンコは、いかなる瞬間にもオーケストラの均衡を重視しており、そのため音楽を過度に咆哮させたり、忘我的な興奮に陥らせたりすることを避けているようである。その辺りは現代っ子なのであろう。演出家の狙っていたことの最大の理解者は彼かもしれない。
近年のワーグナーの音楽では、わたしはダニエル・バレンボイムを聴いた受けた官能的な高潮は忘れられないし、大人の音楽として、どっぷりと陶酔に陥れてしまっても良いとは思う。ともあれ、このカストルフ演出を気にせずに音楽だけのFM放送に身を委ねよう。
今年で、ペトレンコは『ニーベルングの指環』チクルスの指揮を卒業、彼の他の演目、また、来年の指揮者の出来栄えに期待している。最後に、音楽を耳にするだけでは悔しいことがだまり役の演技である。『ニーベルングの指環』では熊が狂言回しとして登場します。それが音だけでは伝わらないことだけは残念。
~ドイツ・バイロイト祝祭劇場で収録~
(2015年8月1日)
NHK-FM でオンエア、2015年12月27日、日曜日、午後9時~午前1時45分
The post 劇的変化に富む音楽を均衡を重視した無駄のない響きで聴かせたペトレンコ、楽劇《神々の黄昏》〜演出家の狙っていたことの最大の理解者は彼かもしれない first appeared on Classical Notes.]]>バイロイト音楽祭 2015。恐れを知らぬ英雄ジークフリートの成長物語が描かれた楽劇「ジークフリート」を放送する。奇抜な演出に賛否が巻き起こった演奏を聴いていただく。猛烈なブーイングに混じって、これ見よがしの爆笑も巻き起こった何とも滅茶苦茶な演出でジークフリートが巨大なワニに餌付けしたり、森の小鳥が、その巨大なワニに喰われてしまう。メルヘン・オペラだと見れば子供も楽しめるだろうけれども、世界支配の権力を秘めた「指環」を「石油」に読み替え、その利権争奪の歴史の流れを、4部それぞれにシチュエーションを変え、さまざまな局面から描き出そうという狙いと推測できる今回の演出テーマが「ジークフリート」ではどこかへ行ってしまった。
わたしはどうも、ジークフリートがヴォータンの槍を剣でたたき折るのではなく、手でヘシ折ることに拘りたい。このジークフリート自身が鍛え直し、ノートゥングと新しい名前をつける剣は、ヴォータンが息子のために残した剣で、一旦砕けた断片を鍛え直しヴォータンの槍を剣で叩き折ることで父親たちを乗り越えて独り立ちすることを意味している。子供っぽい演出も、ありのままの自己を尊重し受け入れたいと自立出来ていないことへのジレンマから『いつの間にか』出来上がっていたり、肝心な第3幕ではどこかへ行ったのか?
ともあれこのカストルフ演出を侍を思い重ねるような封建的時代錯誤を感じる父親と息子の関係より、その象徴であるノートゥングの剣無しで『ジークフリート』を理解しやすい演出が登場する布石になれば、成功だったと、その時に言えるでしょう。
地味で動きの少ない『ジークフリート』はとっつきにくい題材では有る。その分、音楽は明確な主張を感じさせて響くものとなった。第1幕の静かな序奏の個所から、第3幕冒頭のヴォータンとエルダの場へと成熟の度を加えるように美しい響きが増していき、クライマックスへ向かってオーケストラは実に雄弁に、しかも決して野放図な咆哮にならず、引き締まって均衡豊かに轟々と流れて行く。
~ドイツ・バイロイト祝祭劇場で収録~
(2015年7月30日)
NHK-FM でオンエア、2015年12月26日、土曜日、午後9時~午前1時15分
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