千住真理子さんも、小憎らしい出題をしたものだ。思わずペンを手にする欲望をくすぐってくれた。
その答えは後述するとして、蓄音機で音楽を聞いていた時代。4分から5分がレコード片面の再生時間でした。この4分から5分の時間を規範にしたアメリカでは片面一曲のドーナツ盤、12インチ盤を定め、ターンテーブルの互換をヨーロッパでは規範として33回転のLPレコード、12インチ盤の両規格が出来上がります。
何れかに統一することでなく、アダプター、回転数を切り替える機構を加えることで欧米の音楽を聞けるようにしました。この時、LPレコード=ロング・プレイが生まれ、規範とした蓄音器用レコードを、スタンダード・プレイ=SPレコードと一般的に呼んでいます。それ以前にもSPという表記は出てくるのですが、材質のシェラック盤に由来し、ゴムや物資の無い戦時中はダンボールが使われたりしました。
78回転盤とヨーロッパでは今でも呼びますが、80回転、82回転など回転数の規格もまちまちでした。
LPレコードの材質は塩化ビニール。現代でのヴァイナルという呼び方は、SPレコードをシェラック盤と呼んでいた時代に立ち返った感じがします。
ふかわさんはDJなので、米国プレスの45回転に対して英国の12インチが33回転なので、ご存知の範疇でしょう。CDやデータを使う現代では起こらないことかもしれませんが、わたしが熊本でディスコのノンストップ・ミックスを初めた頃には、33回転という印がなく、45回転で間違えて、面白いミックスになった思い出もあります。
さて、1954年頃からレコードの再生方式が RIAA によって統一されることになります。
SPレコードにも大ヴァイオリニストがヴィヴァルディの協奏曲を演奏していますが、レコード裏表に合うように別々の曲の任意の楽章を組み合わせたり、ヴィヴァルディの曲をバッハと書いてあるレコードも有りました。映画『審判』で《アルビノーニのアダージョ》として紹介された音楽は、大ヒットしました。
ヴィヴァルディのヴァイオリン協奏曲集《和声と創意への試み》の12曲から、4曲を選び《四季》として、イ・ムジチがLPレコードで売りだしたのがバロックブームの火付けとなった。イタリアのアンサンブルは世界的に人気となり、オランダ・フィリップスは大きな売上を上げた。時同じく、フランスの個人経営のレーベルが世界規模で注目される。曲は《アルビノーニのアダージョ》だ。
ジャゾットは、トマゾ・アルビノーニの系統立った作品目録を作成したことでとりわけ名高い。また、アルビノーニのほかに、アントニオ・ヴィヴァルディなどの評伝を執筆したイタリアの音楽学者で、ザクセン国立図書館から受け取ったアルビノーニの自筆譜の断片を編曲したと称して、《ト短調のアダージョ》を出版した。この作品が《アルビノーニのアダージョ》として親しまれるようになると、ジャゾットの名もアダージョの編曲者としてとりわけ有名になった。
アルビノーニの楽譜は完全でなく、数葉の断片を元にジャゾットが補作したようにLPレコードの解説には当然のごとく説明されている。バロック音楽の代表曲として《パッヘルベルのカノン》と共に、レコードは大ヒットしていく一方で真相も解き明かされていく。
出版社の録音部門だったエラートは、この《ト短調のアダージョ》を『編曲者、ジャゾット』とし、アルビノーニの真作、オーボエ協奏曲やシンフォニア、ソナタの演奏と組み合わせてレコードを発売。学級肌の興味を煽った。いかにもフランス人気質を感じさせるウィットだ。
弦楽合奏とオルガンのための楽曲で、1958年に初めて出版された、この作品は、トマゾ・アルビノーニの『ソナタ ト短調』の断片に基づく編曲と推測され、その断片は第二次世界大戦中の連合軍によるドレスデン空襲の後で、旧ザクセン国立図書館の廃墟から発見されたと伝えられてきた。しかし、1990年一通の手紙で決着がつく。この作品には原作となるアルビノーニの素材はまったく含まれていなかった。それでもジャゾットは、自分は編曲したのであって、作曲したのではないと言い張ったが、現在では完全なジャゾットの創作であることが判明している。自筆譜の断片が公表されたため仕方なく、ジャゾットはバス声部のみが該当の部分だと述べており、しかもこの曲の版権はジャゾットが持っていたのである。
雄渾多感な旋律と陰翳に富んだ和声法ゆえの親しみやすい印象から広まり、クラシック音楽の入門としてだけでなく、ポピュラー音楽に転用されたり、BGM や映像作品の伴奏音楽として利用されたりした。リチャード・クレイダーマンの一大ブームに似ている。
大衆文化に入り込む素養は多く、映画音楽として注目されて、数多くの演奏家がレコードで『バロック音楽の名曲』として売りだした《アルビノーニのアダージョ》は、バロック音楽の作曲様式に倣った現代音楽ということになるのだろうか。
以前にもこのような記事を書きました。
The post バロック音楽の名曲として一大ヒットだった、アルビノーニのアダージョは、誰の作曲か? ― 贋作とされようと研究成果が創造を超えた美しき音楽。 first appeared on Classical Notes.]]>熊本地震は断層がずれた大震災。道路や自宅の床下が地割れ、マンホールは周りに亀裂が出来て膨らみ。橋は道路との境界に段差ができて通行困難になり。
そんな割れた地面から多くの花が咲いているのを見つけて、色鮮やかさに癒やされて、自然の回復しようとする力強さを感じていたら。
そんな美しさだけでなく、現在も玄関から思うように出入り出来ないので避難所生活ですが、夜、避難所のトイレにぞろぞろゲジゲジのような日頃見かけない虫が出てくるようになったと感じていたら、朝になって明るくなったら、寝ている脇に巨大なムカデが居て大騒動しました。
地中深くから出てきたのでしょう。トカゲや蛇も大きな個体を見かけるようになりました。これもまた自然の為すことですね。
水の流れや、小鳥たちの鳴き声、嵐が来て雨が振り、農地が潤い農民たちが嬉しそうにダンスを踊る。今回のきらクラDONは、田園交響曲。ベートーヴェン作曲、交響曲第6番ヘ長調の第1楽章冒頭ですね。
この曲は『運命』と双子で、序奏がなく、いきなり印象的な主題で開始される。ベルリオーズやリストを先駆けた、標題音楽の扉を開いた曲ですが、田園の生活を、そのまま描写したのではなくて、その田園で出会った自然や人々との交流で変化する主人公の心境を描写しています。以前に話しのあった、ケテルビーの「ペルシャの市場にて」の作曲動機とは違うところです。
宮沢賢治の名作、セロ弾きのゴーシュでゴーシュが映画館で、オーケストラと演奏するというのが有る。昔は映画館には、クラシックを演奏できるオーケストラが居ました。サティの音楽はそういう場所で演奏されたんでしたね。
電化の発展で、映画館にオーケストラが必要なくなって。家庭にテレビが当たり前になって。自然との関わり方も変わってしまった、と思い驕っていたのは人間だけだったのかもしれないです。
避難所にテレビはなく、ラジオも地震が起こった時にニュースを確認するぐらい。情報は朝、夕届く新聞や、掲示板の張り紙を見逃さないように心がけることが大事で。浴びるように聞いていた音楽を絶たれて、やがて、ふた月が避難所で過ぎました。午後10時の消灯前だけ、静かなプライヴェートな時間になるので目を閉じて、頭の中で名曲を忘れないように思い起こすようにしています。
たった一小節の弦楽器の分散和音ののちに、直ちに独奏ヴァイオリンが悲しげな笑みをたたえた優雅な主題を歌い出す。4月24日放送のきらクラDONは、メンデルスゾーン作曲《ヴァイオリン協奏曲 ホ短調》第1楽章の冒頭ですね。
あまりにも短い出だしで独奏ヴァイオリニストは緊張を強いられるとされる。名ヴァイオリニスト、アドルフ・ブッシュがコンサートで弾くつもりでいたのはベートーヴェンの《ヴァイオリン協奏曲》でしたが、ステージに立ってオーケストラが引き出した前奏はなんとメンデルスゾーンの《ヴァイオリン協奏曲》だった。アドルフ・ブッシュは慌ててヴァイオリンを構えて弾きだしたが、大汗をかいたという。名ヴァイオリニストだったからに限らずに、短いのに印象深い冒頭ですね。
このヴァイオリン協奏曲はメンデルスゾーンが指揮者として引率していたライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団のコンサート・マスターを務め、メンデルスゾーンの右腕と成って活躍していたフェルディナント・ダヴィットに約束していたのですが、完成まで6年経過した。辛抱強く待ってくれたのは余程信頼が厚かったのですね。
どうしてそんなに完成まで年数があったのか。この間、セシル・シャルロット・ソフィ・ジャン=ルノーと幸せな新婚生活を過ごし、ダヴィットの助言を忠実に聞き入れながら慎重に作曲を進めたのでした。だからでしょう。どの一小節にも魂が宿っているようです。第二次世界大戦中、アドルフ・ヒットラーはユダヤ系作曲家、メンデルスゾーン、マイアベーア、マーラーの演奏を禁じますが、このヴァイオリン協奏曲は作曲家名を伏せて演奏、録音されているのも武力によって世界制覇を志したヒットラーといえども、聴きたいと思う名曲の力があったことは暗い時代に数少ない明るい話題に感じます。
熊本地震。今感じていることは、その地名に左右されたな、ということです。避難所で高齢者というより代々住んでいる方の言葉で「あそこん土地は昔は葦のいっぴゃあ生い茂っとるところだったけん」というのを、いくつも聞きました。
私の家のまわりでも、畑や田圃だったところを整地して住宅街が昨年はたくさん建ち並びました。宅地に改められた土地を買って建売住宅を購入した場合、気が付かないことかもしれない。おしゃれな名前、日本各地に良くあるような名前に変わっていたりします。どうか、地区の自治会には必ず参加して古老の話を聞く機会を作りましょう。戦前の話、明治以前の話と深く自分のクラス土地の歴史、地名の由来を知る勉強にもなります。
The post 創る物と奏でるもの。絆のために根気よく。6年間かけてヴァイオリニストの助言に忠実に。 ー メンデルスゾーンの姓は、メンデルスゾーン=バルトルディ first appeared on Classical Notes.]]>クラシック音楽大楽(学)の門は広く出口は見えない。新入学生は友達100人出来るかな、と期待を胸にやって来る。NHKラジオ放送「音楽の泉」の主題曲としてもおなじみ。この『第3番』は、シューベルトの存命中から愛好され「エール・リュス」(ロシア風歌曲)として有名でしたが現代では日常沙汰の著作権には無頓着。死後数多くの作品が残ったのは、友人たちが熱心に楽譜を出版してくれた賜物でした。
生涯就活に
フランスの作曲家、エドゥアール・ラロの《スペイン交響曲》の第1楽章の冒頭、が第168回 きらクラDONの答えですね。クラシック音楽には興味があって、わかるように聴いてみたいと思いながらも挫折しているって人には、疑問を持たせることが第一。CDショップのクラシックコーナーに初めて配属されるスタッフに最初に慣れさせるのが、ジャンル別に陳列できるか。これが思いの外、ジャズ・コーナーやロック・コーナーに移った時の理解の早さに活きます。
クラシックコーナーは『交響曲・管弦楽曲』、『協奏曲』と分かれているものです。ラロの『スペイン交響曲』は曲名に交響曲とあるのに、なぜ、ヴァイオリン協奏曲のジャンルに有るんですか、と質問が出るようだと教えやすい。ヴィヴァルディが協奏曲を三楽章形式で、しつこいほど多くの曲を残して、ヴィヴァルディは協奏曲を500曲作曲したんじゃなく、500通り書いたんだと云われるほど。同時代のテレマンが4,000曲を残していて、『ギネス世界記録』においてクラシック音楽の分野で最も多くの曲を作った作曲家として正式に認定されていても、テレマンの協奏曲は様々な形式があるのと比べてもヴィヴァルディがいかに執着していたのかが感じ取れます。
それが現在、協奏曲は三楽章という雛形になったわけです。さて、ラロの『
それで年配の方には《マドンナの宝石》、、、当時は『聖母の宝石』の方が耳馴染みの題名でしたが、この曲が大好きだという方が多いです。テーマ音楽が何かNHKに問い合わせて知ったとか。わたしも地元のNHKに曲名を教えてもらったことも有りました。次第に東京に問い合わせますから、曲が放送されている時じゃないと判りませんと断られるようになり。、、、それも良い思い出の時代です。
この番組では主に室内楽曲が選曲されていましたが、交響曲や協奏曲の華やかな音楽と比べ室内楽曲は曲名も記憶に残りにくいものですが、クラシック音楽を楽しめる耳を育てます。
音楽を、ただぼんやりと聴いているだけではダメなのです。まず、しっかりメロディーを聴く。これは、まあ誰でもやることです。次に一番低い音を聴く。室内楽だとチェロやコントラバス、ピアノの低音の和音。低音の旋律に耳を澄ませば、高音まで多層的に聴く鍛錬になります。音痴でも、絶対音感が有るか無いか判らなくても、クラシック音楽が楽しみやすくなるでしょう。様々な楽器の音色の絡みあいや、ダイナミックな音楽は情操を育てますが、室内楽曲を数々聴いている程に音楽を思考する力がつきます。
きらクラDONも、意識して音楽を聞く習慣を育てますね。そう言えば、ヴォルフ=フェラーリも音楽学校は卒業していないとか。ところで《マドンナの宝石》はヴォルフ=フェラーリ作曲の悲恋オペラの第2幕の《間奏曲》ですが、出題は組曲版の第二曲でしたか。弦楽の主題の箇所から出題されたのですぐに曲名がわかりましたが、ハープの伴奏にのってフルートソロで始まる版もありますね。
The post 名曲《マドンナの宝石》が教えてくれる、クラシック音楽の聞き方の秘訣とは ー 天は二物を与えずこそ、哀愁に満ちたメロディーに感動するのは日本人も同じ。 first appeared on Classical Notes.]]>『ラクダに乗った隊商が近づいてくる。市場の乞食たちが「バクシーン、バクシーン(お恵みを)」と叫んでいる。そこへ美しい姫の到着や、奇術師やヘビ使いのショー、カリフ(太守)の行列の通過がある。再び乞食が叫び、姫が帰り支度をし、隊商は出発し市場は静かになる』作曲したケテルビーが書いている通り、エキゾティックな風景が感じられるメロディー。放送局のディレクターを担当していたケテルビーが、とある番組の穴埋めのために急遽作曲したということです。
ところで、ふかわさんが聴いていたチャイコフスキーのバレエ組曲「くるみ割り人形」に入ってなくて悔しがってた、《チョコレートの精の踊り》には別に『スペインの踊り』がついています。同じく《コーヒーの精の踊り》は『アラビアの踊り』となっていて、チョコレートやコーヒーは南米じゃないかしら、と思うところ。なぜ『アラビアの踊り』が「コーヒーの精」なのかを考えると、コーヒーの起源がエチオピア説とアラビア説の2通りあることを思い出しませんか。イスラム教徒の間で体調を整え、気分を高揚させる薬として広まってロシアに伝えられたのでチャイコフスキーとしては、コーヒーは東洋風の印象があったのかもしれません。
さて、ケテルビーは《ペルシャの市場にて》を作曲するにあたってペルシャの音楽を取材しているわけでもなく、現場で演奏家に支持して曲作りしたものと思われます。しかし、オリエンタリズムに基づいた異国趣味的な作品を多く遺しており、日本の国歌「君が代」をモチーフとして用いた《日本の屏風から》も楽しいですよ。
ちなみに、「ケテルビー名曲集」とあっても演奏家次第で選曲が異なり、聞きたい曲が入ってないことも多いです。
The post 「いつか、どこかで聴いたクラシック音楽」。その代表的な名作《ペルシャの市場にて》〜エキゾティックな風景から聞こえる懐かしく美しいメロディー。 first appeared on Classical Notes.]]>今日はバレンタイン。チョコレートはもらいましたか。きらクラDON第162回の曲は、クライスラーの『愛の喜び』。いや、むしろ曲想は『愛の悲しみ』。チョコレートを受け取ったら、その目指す先には … 解答はガブリエル・マリー(父)作曲の《金婚式》ですね。
スイートなタイトルだけど、曲はロマンティックだけれども、甘すぎず、ドラマティックすぎず。50年間の間に、酸いも甘いも一通り味わった夫婦の手元に残ったものは何なのか、そんなことを教えてくれる気がします。クライスラーの『愛の悲しみ』も、悲痛な重々しさではなく『悲哀』が相応しいと思いませんか。
バレンタインということで今日は『愛の喜び』をはじめ「愛のメロディー」が番組で選曲されているかな、と思いますが、わがまま。ブラームス作曲の「ワルツ第15番」をリクエストします。
「16のワルツ」作品39はピアノ連弾曲ですが、そのやわらかな曲調から『愛のワルツ』と呼ばれる事もあるのが第15番です。2分足らずのとても短い曲ですが、とっても自然にゆっくりと、やさしくピアノの響きを聴かせてくれる曲ですから、聴いていると、とても落ち着きます。そして、ヴァイオリンやチェロでの演奏でも親しまれていますね。
これのオーケストラ演奏版を聴かせてください。「のだめカンタービレ」やコマーシャルで使われているので、タイトルはわからないけど必ずどこかで聴いていますよ。虜になると別れられなくなります。
優雅な主題は、クライスラーの《愛の悲しみ》と似た情緒が有る。三部形式の構成はシンプルで、穏やかに始まり華やかで、最後はファンファーレでお祝いを演出する。
昨今では新しい録音自体は見かけないが、演奏技術上も多くを求められないので演奏して楽しまれるタイプ。金婚式のお祝いという目的や、原曲をも超えてヴァイオリン愛好家に広く親しまれている。
The post バレンタイン・デイ … その行方は“愛の喜び”、“愛の悲しみ” 幾年越えて将来は『金婚式』を祝いたいね ー きらクラDONはマリのガヴォット《金婚式》 first appeared on Classical Notes.]]>再放送は成人の日の朝になるから、「きらクラDON」のチャンスは日曜日の本放送だけかな。
いつもであれば、番組が始まって最初の音楽の後で「きらクラDON」のコーナーに成るのですが、すぐに「BGM選手権」のコーナーがスタート。
NHKの番組表を確認したら月曜日の朝の再放送はあることがわかった。
おやつの支度をしていたら、「きらクラDON」のコーナーが始まった。いきなり出題で戸惑った。そうだ、年末には出題がなかったのだ。だから答え合わせはなく出題だけが行われた。
映画で使われていたクラシック音楽の全曲を聞きたいと相談を受けます。気にかけながら映画を楽しんでいますが、ギャング映画はちょっと苦手。でも、ゴージャスなオペラはよく使われていますね。
イタリア映画『ゴッドファーザー』の最後で使われているクラシック音楽が今日の解答ですね。ピエトロ・マスカーニ作曲 歌劇「カヴァレリア・ルスティカーナから間奏曲」。第158回のきらクラDONは、この冒頭ですね。
この歌劇『カヴァレリア・ルスティカーナ』の舞台はシチリア地方。だからマフィアの映画で定番なのでしょう。ジョヴァンニ・ヴェルガの短編小説が原作で、小説の脇役が主人公になっています。プロスペル・メリメの小説が原作の『カルメン』も“僕”という第三者が、カルメンとホセの顛末を語っている。
映画『ゴッドファーザー』の映像も、ファミリーの繁栄と
《間奏曲》は弦楽器のアンサンブルとハープの彩りにパイプオルガンが敬虔な祈りの精神を演出しています。オペラとしては上演時間が短い一幕物で、《間奏曲》では舞台転換は行われなくてハープとオルガンは舞台上にある。実際の演奏はオーケストラ・ピットにもあるハープが奏でますが、舞台装置として必要な存在です。
また、小説では血生臭い結末に至るまでリアルに描写されているトゥリッドゥとアルフィオの決闘シーンはオペラでは、教会でミサが行われたあと「トゥリッドゥさんが殺された」という女の悲鳴が2度響き、村人の驚きの声と共に決闘があったことが告げられて、幕。演出の手法としては発明と言って良いんじゃないかしら。ギャング映画のラストシーンが主人公の無残な死に様を直接描かないのに引き継がれているように感じます。
初演後3年間のうちに、イタリアの66都市、イタリア国外の62都市で『カヴァレリア・ルスティカーナ』は上演された大ヒットと成った。1時間ちょっとのオペラだけど、短いなりに観るものに考えさせる強烈さがあるのでしょう。作曲家自身が指揮をしたレコードが、それも二種類あることもクラシックでは珍しいのではないでしょうか。
わたしが初めて買った「カヴァレリア・ルスティカーナ」の全曲盤が、このマスカーニ自身の指揮で録音されたイタリア盤でした。ラジオで聞いた《間奏曲》を気に入って、オペラなら序曲やアリアはどうだろうとレコード店に出かけて行って購入を決めたものでした。日本語訳はついてなかったけど、短いオペラで話の流れは大体把握できていたからでした。それが輸入盤でオペラを聴くきっかけだったと言えそう。カラヤンの録音でも、日本語訳が出来てから日本盤が発売されていた時代ですし、随分と日本盤で紹介されていない未知のオペラ全曲盤があるのを知りました。
初演は1890年5月17日。このオペラは発表にあたって著作権で揉めました。このオペラの作曲の動機はソンゾーニョ社の一幕物オペラ・コンクール ー ソンゾーニョ・コンクール(第2回)の募集要項は、同社の雑誌“ Il Secolo ”誌および“ Il Teatro Illustrato ”誌の1888年7月1日号に掲載された。 ー の募集をマスカーニが知ったことに端がある。1等3,000リラ、仮に2等であっても2,000リラの賞金はイタリア南部チェリニョーラで音楽教師をしていたマスカーニの、ほぼ年収相当の金額を意味したし、ここで高評価を得れば彼がイタリア楽壇に再認識されるのも疑いなかった。
友人の協力で台本を得、マスカーニは著者ヴェルガのオペラ化許諾を得ないまま作曲を進めてしまっていた。著作権がどうこうなどあったかどうか、コンクールに提出する期限が11ヶ月しかなかったので作曲に取り組んで忘れてしまったのかもしれない。あるいはコンクールに応募する作品だから必要に思わなかったのかもしれない。
それでも、事後承諾を試みたとき、初めヴェルガは自身の戯曲を一字一句に至るまで忠実に再現することを望んだが、マスカーニは「これはあなたの『カヴァレリア』を忠実に再現するものです」と返答して了承を得た。両者が合意文書に署名したのはコンクール応募前の1889年4月になっていた。しかしそこで交わされた覚書は金銭面の具体性を全く欠いていた。これはオペラ作品が大成功を収めることをマスカーニもヴェルガも想像していなかったことの傍証ともなろう。二人も驚くほどのオペラの大ヒット。ヴェルガは訴訟を提起。ソンゾーニョ社がヴェルガに14万3,000リラを支払うことで和解成立となった。
これには
しかし今度はソンゾーニョ社とマスカーニから同作品の上演停止を裁判所に訴え、今回は彼らの全面勝訴となりモンレオーネ作品の以後の上演は ー 少なくともイタリア国内では ー 禁止となった。斯くも上演権は血なまぐさいことは起こらなかったが、出兵中に恋人が別の男と結婚していて、男二人が決闘で一人の女性を自分のものとするオペラのストーリーを
今年も残り10日あまり、クリスマスに新年にと仕事を前倒して片付けなくてはなりません。月初に行えば良いことも年の瀬が差し迫らないうちに処理しなくてはいけません。どこの職場も同じ状況でしょう。そうした忙しいオフィスの情景をユーモラスに描写しているのが、ルロイ・アンダーソン作曲 「タイプライター」。第157回のきらクラDONは、この冒頭ですね。慌ただしさを控えてラジオを聴いていたので、聞き違えでしたら残念。
この曲がステージで演奏される時に、かばんを抱えてステージに登場した奏者が、
でも、この曲を始め、ルロイ・アンダーソンの音楽は大好き。一年間のうちに何度かはじっくり聞きたくなります。ベートーヴェン、ブラームスを小学生の頃から聞いて育ちましたけれども、ルロイ・アンダーソンの楽しい音楽も傍らに有りました。その両輪が今の音楽趣味の元になっていると振り返ってみました。
それと、ルロイ・アンダーソンも没後40年と、今年がアニヴァーサリーなんですね。「そりすべり」やクリスマスのメロディーをメドレーにしたボストン・ポップスのために作曲された「クリスマス・フェスティヴァル」など、作曲者を意識していないで毎年、楽しんでいますね。どんな顔かしら、とイメージが湧かないのもクラシックでは珍しいのではないでしょうか。
ふかわさん、真理さん。皆さん、クリスマス・カード、年賀状はもう準備万端でしょうね。今はパソコンで用意しますから、タイプライターを使うことはないですが、それでも忙しそうにプリントしている様子を眺めていると「タイプライター」のリズムが聞こえてきて愉快になります。新年も楽しく、勉強になる番組を楽しみにしています。良いお年をお迎えください。
仕事に追われ、忙しいオフィスの情景をユーモラスに描写した楽しい音楽は、終戦間もない1950年に大ヒット。
[signoff]The post 仕事に追われ、忙しいオフィスの情景をユーモラスに描写した ― ルロイ・アンダーソンの《タイプライター》 first appeared on Classical Notes.]]>