バイロイト音楽祭 2015。最終夜は楽劇「神々のたそがれ」。「ニーベルングの指環」4部作のうち4時間半におよぶ最長の大作。その劇的変化に富む音楽をお届けする。あれだけ騒いでいた「石油問題」のテーマは何処へやら、ノートゥングを帯刀していないジークフリートは手持ち無沙汰だ。散漫で雑駁な演出もキリル・ペトレンコの音楽の素晴らしさに救済された。
ワーグナーが粋を尽くした精緻かつ壮大な音楽を、些かも粗暴に陥らせず、曖昧混沌たる音にもせず、かくも明晰に瑞々しく、しかも表情豊かに響かせる指揮者は、決して多くないだろう。たっぷりした豊潤な音でありながら、引き締まって無駄のない響きである。もっとも、ペトレンコは、いかなる瞬間にもオーケストラの均衡を重視しており、そのため音楽を過度に咆哮させたり、忘我的な興奮に陥らせたりすることを避けているようである。その辺りは現代っ子なのであろう。演出家の狙っていたことの最大の理解者は彼かもしれない。
近年のワーグナーの音楽では、わたしはダニエル・バレンボイムを聴いた受けた官能的な高潮は忘れられないし、大人の音楽として、どっぷりと陶酔に陥れてしまっても良いとは思う。ともあれ、このカストルフ演出を気にせずに音楽だけのFM放送に身を委ねよう。
今年で、ペトレンコは『ニーベルングの指環』チクルスの指揮を卒業、彼の他の演目、また、来年の指揮者の出来栄えに期待している。最後に、音楽を耳にするだけでは悔しいことがだまり役の演技である。『ニーベルングの指環』では熊が狂言回しとして登場します。それが音だけでは伝わらないことだけは残念。
~ドイツ・バイロイト祝祭劇場で収録~
(2015年8月1日)
NHK-FM でオンエア、2015年12月27日、日曜日、午後9時~午前1時45分
The post 劇的変化に富む音楽を均衡を重視した無駄のない響きで聴かせたペトレンコ、楽劇《神々の黄昏》〜演出家の狙っていたことの最大の理解者は彼かもしれない first appeared on Classical Notes.]]>バイロイト音楽祭 2015。恐れを知らぬ英雄ジークフリートの成長物語が描かれた楽劇「ジークフリート」を放送する。奇抜な演出に賛否が巻き起こった演奏を聴いていただく。猛烈なブーイングに混じって、これ見よがしの爆笑も巻き起こった何とも滅茶苦茶な演出でジークフリートが巨大なワニに餌付けしたり、森の小鳥が、その巨大なワニに喰われてしまう。メルヘン・オペラだと見れば子供も楽しめるだろうけれども、世界支配の権力を秘めた「指環」を「石油」に読み替え、その利権争奪の歴史の流れを、4部それぞれにシチュエーションを変え、さまざまな局面から描き出そうという狙いと推測できる今回の演出テーマが「ジークフリート」ではどこかへ行ってしまった。
わたしはどうも、ジークフリートがヴォータンの槍を剣でたたき折るのではなく、手でヘシ折ることに拘りたい。このジークフリート自身が鍛え直し、ノートゥングと新しい名前をつける剣は、ヴォータンが息子のために残した剣で、一旦砕けた断片を鍛え直しヴォータンの槍を剣で叩き折ることで父親たちを乗り越えて独り立ちすることを意味している。子供っぽい演出も、ありのままの自己を尊重し受け入れたいと自立出来ていないことへのジレンマから『いつの間にか』出来上がっていたり、肝心な第3幕ではどこかへ行ったのか?
ともあれこのカストルフ演出を侍を思い重ねるような封建的時代錯誤を感じる父親と息子の関係より、その象徴であるノートゥングの剣無しで『ジークフリート』を理解しやすい演出が登場する布石になれば、成功だったと、その時に言えるでしょう。
地味で動きの少ない『ジークフリート』はとっつきにくい題材では有る。その分、音楽は明確な主張を感じさせて響くものとなった。第1幕の静かな序奏の個所から、第3幕冒頭のヴォータンとエルダの場へと成熟の度を加えるように美しい響きが増していき、クライマックスへ向かってオーケストラは実に雄弁に、しかも決して野放図な咆哮にならず、引き締まって均衡豊かに轟々と流れて行く。
~ドイツ・バイロイト祝祭劇場で収録~
(2015年7月30日)
NHK-FM でオンエア、2015年12月26日、土曜日、午後9時~午前1時15分
The post ノートゥングの意味するもの、楽劇《ジークフリート》〜若き演出家が客筋を読み誤ったのか自尊心との葛藤か first appeared on Classical Notes.]]>バイロイト音楽祭 2015。「ニーベルングの指環」第一夜にあたる楽劇「ワルキューレ」。指揮者ペトレンコのスピード感と活力あふれる表現豊かな演奏を堪能していただく。『愛の二重唱』の背景でニトログリセリンよりも扱いの容易いダイナマイトを発明したノーベルの一族が、一方でバクー油田の利権をロスチャイルドと競争しつつ利用し巨大な富を築いていたことや、それが若き革命家スターリンの扇動する闘争を誘発させ、やがてソ連共産主義の、あるいはアメリカ資本主義の繁栄のもととなって行った ー とかいう歴史的事実が映像として重ねられる舞台上は猥雑ながら、音楽だけの放送はバイロイト祝祭管弦楽団の底力を遺憾なく発揮させた精鋭な演奏と主役も脇役も手堅い歌唱を聴かせる音楽に陶酔できる。
~ドイツ・バイロイト祝祭劇場で収録~
(2015年7月28日)
NHK-FM でオンエア、2015年12月28日、金曜日、午後9時10分~午前1時10分
The post 音楽に映像が合わせられて情報量の多い、楽劇《ワルキューレ》〜ワーグナーの作品の中でも最も美しい音楽の場面でも執拗に演出 first appeared on Classical Notes.]]>「バイロイト音楽祭 2015」今日から楽劇「ニーベルングの指環」4部作を放送。まずは前夜祭にあたる楽劇「ラインの黄金」。指揮は今年が最後となるキリル・ペトレンコ。舞台上は猥雑ながら、目を瞑ればバイロイト祝祭管弦楽団の底力を遺憾なく発揮させた精鋭ぶりで魅了する。ティーレマンのような豊麗な音づくりではなく、むしろ音量を抑制した、凝縮した響きを求めた指揮だが、緊迫感と美しさは充分だ。オーケストラがこれほど均斉を保って鳴り響いた例は、決して多くはないだろう。
~ドイツ・バイロイト祝祭劇場で収録~
(2015年7月27日)
NHK-FM でオンエア、2015年12月24日、木曜日、午後9時00分~午後11時30分
The post 石油の発掘権の奪い合いにテーマを置き換えられた、楽劇《ラインの黄金》〜Tシャツとジーパン姿で眺める方がしっくりする騒々しい猥雑な舞台 first appeared on Classical Notes.]]>「バイロイト音楽祭 2015」から歌劇「さまよえるオランダ人」を放送。来春日本でも沼尻竜典さんの指揮で同オペラが上演される。
昨年までのティーレマンに代わり、指揮はアクセル・コーパー。昨年のバイロイトではタンホイザーを振った。その音楽に派手さはなく、地味ながら手堅い。
~ドイツ・バイロイト祝祭劇場で収録~
(2015年7月31日)
NHK-FM でオンエア、2015年12月23日、水曜日、午後9時00分~午前0時
The post 来春日本でも上演される、歌劇《さまよえるオランダ人》〜4年目となるグローガー演出 first appeared on Classical Notes.]]>「バイロイト音楽祭 2015」。第2夜は歌劇「ローエングリン」。美しい旋律や婚礼の合唱など聴きどころ満載。指揮はバイロイト・デビューとなるアラン・アルティノグリュ。
~ドイツ・バイロイト祝祭劇場で収録~
(2015年7月26日)
NHK-FM でオンエア、2015年12月22日、火曜日、午後9時10分~午前1時
The post 指揮者はバイロイト・デビュー、歌劇《ローエングリン》〜近年人気の演出 first appeared on Classical Notes.]]>ドイツの古都バイロイトで開催される「バイロイト音楽祭 2015」を7夜にわたり放送。初日はワーグナーのひ孫カタリナ・ワーグナー演出の楽劇「トリスタンとイゾルデ」。
~ドイツ・バイロイト祝祭劇場で収録~
(2015年7月25日)
NHK-FM でオンエア、2015年12月21日、月曜日、午後9時10分~午前1時30分
The post ワーグナーのひ孫、カタリナ・ワーグナー演出の楽劇《トリスタンとイゾルデ》〜男と女の至高の愛の伝説 first appeared on Classical Notes.]]>カラヤンはワーグナーのチクルスを、ワルキューレから開始。これがなんとも美しい。爛熟の美を磨かせたらカラヤンは天下一品。そしてスリル満天。ワーグナーの、と言うよりカラヤンのテクニックで昇天させられてしまいます。その同じ時期にヨーロッパの劇場で生え抜きのキャスティングを揃えて、ドイツの実力派歌手たちの歌の饗宴は堂にいったものです。カラヤンが「台詞の意味を考えて歌うことを重視」した、その狙いがスワロフスキーのワーグナーに向けた挑戦だったのでしょう。
門下生はクラウディオ・アバド、ズービン・メータ、マリス・ヤンソンスなど多数。彼らを教えたハンス・スワロフスキーの音楽は、理知的で曖昧さを許さない『指環』と成りました。ワーグナー・ファンが『指環』の基準に扱うようにワーグナー録音史上に名高い。
この9月、ワーグナー生誕 200 年を記念してキング・インターナショナルから 14CD で発売。その解説書によると、このスワロフスキーの『指環』はドイツの「Polyband」社とイタリアの「Fratelli Fabbri」社の企画だったそうです。
1968年8月にニュルンベルクで一気にセッション録音されました。LPでは米国のウェストミンスター社からの発売。ユニークなボックス4つのデザインはアメリカらしい仕上がりながら、色物視されたのでしょうか。ワーグナー通のレコード愛好家が紹介しているぐらいというのが、日本事情でしょう。
ウェストミンスター盤では『大交響楽団』となっていますが、チェコ・フィルハーモニー管弦楽団およびプラハ国立歌劇場管弦楽団の団員から成るので、弦楽器のアンサンブルはバイロイト音楽祭管弦楽団にもベルリン・フィルもここまではかなわない。
なかでもナジェルダ・クニプロヴァーのブリュンヒルデが一番聴かせる。バイロイト音楽祭に出演していない歌手たちで揃えたカラヤンのザルツブルク復活音楽祭での、ブリュンヒルデが印象に残っていますね。
マレク・ヤノフスキのリングでの歌手たちの精密すぎるほど揃ったオラトリオのような『指環』が好きなら、その『ワルキューレ』はこちらと交換してもいいかなと思います。
「ワルキューレ」の録音は、1968年8月3,6,8-12日。
中古品につき売却済みの際はご容赦ください。
Record Label | KHAKI WITH BLACK LETTERING |
Recording & Weight | STEREO 5枚組(140g/130g/115g/125g/130g) |
Release & Stamper | 1972 ⓅABC RECORDS,INC. |
コンディション | |
盤 | EX |
ジャケット | M- |
価格 |
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中古市場での目安価格 | 4,000 円 |
販売価格 | 4,000 円 |
薩摩は公武合体派として会津との間に協調声明をしていたのに、突然、討幕派に豹変。長州に新式銃の融通をしている。それはやがて大政奉還(1867年)へ歴史を動かします。NHK大河ドラマ『八重の桜』の2013年4月14日、21日の放送で将軍家茂が病没し(1866年7月)、孝明天皇が崩御(同年12月)するまでが登場しました。
ドラマの中で勝海舟が象徴的なセリフを言っています。
「徳川幕府開闢から250年、大木に育ったが中にはむろがあちこち出来てしまっている。ペリーが来航している。目先を転じる時なのだ。」
ペリーの黒船が来航したのが1853,54年。歌劇『椿姫』は1853年に初演されました。作曲はオペラ王ジュゼッペ・ヴェルディ。1813年生まれで、今年生誕200年を祝います。歌劇『椿姫』は現在、オペラ十八番中の十八番として受容されています。一見大衆的なドラマと美しく解りやすい音楽で綴られているオペラともみえます。
確かに『椿姫』の音楽はヴェルディのオペラの中でも別格で、これほど多くのヒットナンバーが次々と登場するオペラも珍しい。前奏曲は第1幕、第3幕とも、オーケストラコンサートで良く演奏されます。《ああ、そは彼の人か》、《プロヴァンスの海と陸》、《過ぎし日よ、さようなら》といったアリア、《花から花へ》の夢の様な二重唱。それに《乾杯の歌》はオペラの合唱曲として親しまれています。耳馴染みのあるナンバーを順番に聞くだけで、歌劇のストーリー全体を追うことが出来るのは、モーツァルトの《フィガロの結婚》や《魔笛》、ビゼーの《カルメン》が思いつく。
しかも序(前奏)曲、アリア、重唱、合唱(、バレエ音楽)と歌劇の構成要素の全てにおいて、それらは単独でも演奏される機会の多い名曲揃い。中でも《椿姫》はドラマの流れが解りやすい、その本質は奥深いものですがオペラの聴き初めには持って来い。特にラストの悲劇性は日本の歌舞伎や、芝居に通じるところに親しみを感じさせるのでしょう。
音楽の良さと、ドキドキハラハラ、喜怒哀楽があって飽きさせないドラマ。そして劇場を出た後でも何か、人と人の在り方を考えたく成るものを心に残してくれる。ヴェルディは美しい音楽の娯楽性だけではなくドラマも重視した。
日本に黒船が来航した頃、ヨーロッパのオペラ界事情はベルカント・オペラの二大巨匠、ベッリーニとドニゼッティが世を去っていた。ロッシーニはフランスに住んでいましたが興味はオペラではなくレストラン経営に夢中。ヴェルディが世に出る時期が到来していたのです。《椿姫》を作曲した時は40歳で、劇場支配人や出版社にも発言力を持ち、自分の意志を通せるようになっていた。当時も今も、劇場が上演演目を決めています。作曲家はそれに合わせるしかありません。しかしヴェルディはパリで《椿姫》の芝居を観て、いたく心打たれてオペラ化すると決めます。
どうしても《椿姫》は自分がオペラにしなくちゃいけないんだ。そうした責任感、作曲意欲の充実期であったこと。神話や歴史物、王宮物の優雅な人物が登場して最後はめでたしめでたし、私たちが安心して生活できるのは王様の栄光があってこそもたらされるのです。ありがたや、ありがたやで終わるだけのオペラではなく、人間同士の真実性と、心ときめく良質な娯楽性をヴェルディは目指し音楽とドラマの合体を達成します。だから、ヴェルディのオペラは舞台で演じられる歴史ドラマの背景に詳しくなくても登場人物の気持ちは感じ取りやすいのです。
人間の芸術を目指したオペラの誕生を理想としたヴェルディのオペラ改革。一方には芸術至上主義のヴァーグナーがいました。ふたりとも1813年生まれ、今年生誕200年を祝います。題材的にヴァーグナーは人間の非現実的な世界=神話やメルヘンを媒介として人間の姿=心理状態、気持ちが行ったり来たりする様を投影しようとしている。現実世界を題材として扱うことで、ヴェルディは自分のオペラを見た人がそれぞれに己を重ねあわせて解釈させることでドラマを身近に感じさせようとしたかったのかもしれない。オペラは男と女の愛憎と一緒に、家族像を描く。ストーリーは若い男女を中心だけど、父親像がヴェルディ、ヴァグナーともに存在を外せない。絵画の中に画家が自分の姿を書き入れることがあるように、オペラに登場する父親は作曲家自身であることが感じられる。
歌劇《椿姫》では、ひたすらヒロインに恋焦がれている若者。ヒロインは若者が『恋に盲目』状態だと何処かで感じてる。父親はそこを経験者として感じ取っているのか、表向きでは若者の妹の結婚話のさわりになると話を向け自分を敵にさせることでヒロインの心の枷を除いてやろうとしている。
ヴェルディとヴァーグナーはイタリアとドイツでオペラ王と云われるようになります。ヴァーグナーの楽劇《ローエングリン》は1850年の初演で、歌劇《椿姫》は様式を踏まえた印象を・・・第一幕には特に感じます。互いに発表されるオペラには接していて、吸収できるものは吸収しあっています。ライバル意識を持っていたのはそれぞれの取り巻きである後援者や作曲家、ヴァーグナーの死後、ヴェルディが世に出した歌劇《オテロ》でのヴァーグナー路線に転向したような豹変は周囲を戸惑わせた。作曲の手法は違っていても、神話や歴史を伝えて何か教訓するのではなくて、ドラマを重視してオペラの中の人間を身近に感じさせ、娯楽性も要素として重視する。創りたかった目標は同じだったのです。
大政奉還・・・それまでのオペラの様式を解体したのは、ヴァーグナー。ヴェルディは薩摩藩の様だとするのはこじ付けがましいかもしれない。しかし、維新と日本の文化芸能が前後どう変化したかは結びつけて紹介されることがない。ヨーロッパの演劇や音楽は、かわら版的な位置づけでも有りました。
The post ヴェルディ作曲 歌劇「椿姫」から first appeared on Classical Notes.]]>タンホイザーで開幕した2011年のバイロイト音楽祭は、楽劇《トリスタンとイゾルデ》で閉幕しました。今週のNHK-FM《バイロイト音楽祭2011》の放送も、今夜の《トリスタンとイゾルデ》が最後となりました。昨日の《パルジファル》を聞き終えて、あぁ、年越しだなぁと感慨にふけって今夜の放送を忘れるところでした。
楽劇《トリスタンとイゾルデ》の舞台はコーンウォルでドイツではないのですが、惚れ薬を飲んでしまって国王に貢ぎ物として連れてきた姫に恋心を抱いてしまい、敵前逃亡ならぬ帰国直前に姫と逃避行してしまったトリスタンという騎士の悲しい物語。国王の側近に負わされた傷がもとで、最後は死んでしまうのですが幻夢の中で姫に再会する演出や、実際に姫が到着した時には既にトリスタンは事切れていた。と《ロミオとジュリエット》みたいな解釈が様々で、また、初心者でもいろいろ想像できるのが人気の理由でしょう。
歌舞伎などにも翻案しやすいですね。
全3幕、それぞれが80分から90分ほどで鑑賞しやすい。《前奏曲と愛の死》は聴く機会も多いので、まずはこれに馴染んでから本編を聴くのが初心者の方へのお薦め。
わたしの体験では、第2幕から味わいました。オペラの難関はドラマの展開とどういうことを歌っているのかな、と言うことだけど第2幕は単純に『あなたが好きだ』、『わたしも愛してます』とお互いの愛を確かめ合うトリスタンとイゾルデのふたり。『まもなく、夜が明けます』とイゾルデの侍女ブランゲーネが遠くで歌う。とわかりやすいので初めて聴く録音でも、ここを聴いて良い、悪いをまず判断基準にしています。
楽劇《トリスタンとイゾルデ》のオペラ録音盤のベスト3は、LPレコードの時代に限ればクライバー盤、バーンスタイン盤、フルトヴェングラー盤でしょうか。
[restabs text=”More”] [restab title=”Kleiber” active=”active”]クライバー盤は、ルネ・コロがトリスタンを”美しく”歌っています。今では聴く事の少ない希少なスタイルのテノール。ルネ・コロのファンになって、他に歌っているものは無いか・・・と、言うのがオペラを聞き慣れるきっかけになりました。[/restab] [restab title=”Bernstein”]
バーンスタイン盤は、ペーター・ホフマンがトリスタンを”若々しく精悍”に歌っています。ロック・アルバムも出しているテノールで、オペラっぽく無いところが受け止め方で良い、悪いを決めそう。
でも、第2幕は一番優れていると気に入っています。[/restab]
[restab title=”Furtwängler”]
フルトヴェングラー盤は、録音はクライバー盤、バーンスタイン盤よりも古いけどステレオ録音をスタジオで行った重要なレコード。フルトヴェングラーは録音を聴いて、ステレオでレコード化することに乗り気になったと言います。これに続く企画が続々上がったのに残念ながらフルトヴェングラーの置き土産になりました。
歌唱はワーグナー演奏のスタンダードと言えるもので、全体、これを超えて満足させてくれる録音は在りません。
[/restab][/restabs]
さて、今年で《ニュルンベルクのマイスタージンガー》が最後となり、2012年は新演出の《さまよえるオランダ人》で初日を迎えます。2013年はバイロイト音楽祭のアニヴァーサリーになるので、《リング》の新演出を控え来年はその前哨戦となりそうです。
アマデウスクラシックス!アナログ初期盤LPレコード通販サイト:オペラ初心者のための《トリスタンとイゾルデ》講座 via amadeusclassics.otemo-yan.net
The post オペラ初心者のための《トリスタンとイゾルデ》 – NHK-FM《バイロイト音楽祭2011》最終日 first appeared on Classical Notes.]]>