エドモン・クレーマンのレコード

クレーマンの『マノンの夢』ほど、旧盤レコード・コンサートで感動を誘うものは無い。ファーラーも、メルバも、カルーソーも、タマニョも聴き尽くしたあとで、このレコードを聴かせると場内は殆ど夢見るような空気に籠められ、静かな、浄化された一種不思議な感動に誘い込まれるのである。

「あゝ、クレーマンの『夢』は矢張り一番良かった」
そういう囁きを私は幾度となく聴いて居る。これは実に不思議なことでもあり、又当然のことであると思う。

クレーマンのうまさというのは全く特別なものであり、日本人向けであると言っても宜しい。この人は決して叫ばない、いつでも静かな中庸な声で巧みに溜まり返る血潮の情熱を表現するのである。あらゆる男性歌手のうちで、この人ほどたしなみの良い人がなく、この人ほど趣味の高い人はない。それは純粋にパリジャンの芸術であると共に、日本人の閑寂な趣味に通う芸術である。それは侘びと寂びにさえ似たものを持った、たしなみ深き表現だったのである。

 

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ルイザ・テトラツィーニのレコード

ルイザ・テトラツィーニは技巧の完全な征服者であると言葉に尽くすより昔の大歌手というものは「こんなにうまかった」と『鐘の歌』を聴かせるのが宜しい。優れた個性の美しさは聴いて確かめるのが一番早い。声の器楽化などと軽視されようともコロラトゥラ・ソプラノもここまで来るとめでたくも楽しい芸術である。

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エマ・カルヴェのレコード

カルヴェがカルメンの最上の演出者であったことは日本でもよく知られている事実である。1902年にロンドンでグラモフォーンに6面吹き込んだが、これが彼女の最初のレコードのように考えられている。カルヴェの声の特徵は、メルバの声は独特の美しさに輝き、彼女の個性がどのレコードにも現れて居たものと全く異なり。そのレコードには生々しい程の感情が再生されている。そして、その曲にふさわしい雰囲気を醸し出し、曲趣を生かすために全力を傾けている。
「セギディーリャ」は1902年に録音された一面で、この集の最古レコードである。
これはおそらく蝋管から平面盤に移したものと考えられるが、極めて珍しいレコードである。針音はかなり出るけれども珍しさがそれを充分補っていると思う。

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ヘルマン・ヤドロウカーのレコード

歌い手として当時のヤドロウカーはイタリのテナーと違って、北欧人らしい深沈たる美しさがあり日本人向きのする底光りの味を持った人であった。今この人の『花の歌』を聴いて、まことに感多少である。『花の歌』は難しい歌だ、テナーは誰でも歌うが誰も上手には歌えない。ヤドロウカーの一風変わった抒情的な味は、空々しさが無くて本当に嬉しい。ホセの突き詰めた心持ちは全くこうでなければなるまいと思う。

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エドモン・クレーマンのレコード

クレーマンの『マノンの夢』ほど、旧盤レコード・コンサートで感動を誘うものは無い。ファーラーも、メルバも、カルーソーも、タマニョも聴き尽くしたあとで、このレコードを聴かせると場内は殆ど夢見るような空気に籠められ、静かな、浄化された一種不思議な感動に誘い込まれるのである。

「あゝ、クレーマンの『夢』は矢張り一番良かった」
そういう囁きを私は幾度となく聴いて居る。これは実に不思議なことでもあり、又当然のことであると思う。

クレーマンのうまさというのは全く特別なものであり、日本人向けであると言っても宜しい。この人は決して叫ばない、いつでも静かな中庸な声で巧みに溜まり返る血潮の情熱を表現するのである。あらゆる男性歌手のうちで、この人ほどたしなみの良い人がなく、この人ほど趣味の高い人はない。それは純粋にパリジャンの芸術であると共に、日本人の閑寂な趣味に通う芸術である。それは侘びと寂びにさえ似たものを持った、たしなみ深き表現だったのである。

 

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ルイザ・テトラツィーニのレコード

ルイザ・テトラツィーニは技巧の完全な征服者であると言葉に尽くすより昔の大歌手というものは「こんなにうまかった」と『鐘の歌』を聴かせるのが宜しい。優れた個性の美しさは聴いて確かめるのが一番早い。声の器楽化などと軽視されようともコロラトゥラ・ソプラノもここまで来るとめでたくも楽しい芸術である。

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エマ・カルヴェのレコード

カルヴェがカルメンの最上の演出者であったことは日本でもよく知られている事実である。1902年にロンドンでグラモフォーンに6面吹き込んだが、これが彼女の最初のレコードのように考えられている。カルヴェの声の特徵は、メルバの声は独特の美しさに輝き、彼女の個性がどのレコードにも現れて居たものと全く異なり。そのレコードには生々しい程の感情が再生されている。そして、その曲にふさわしい雰囲気を醸し出し、曲趣を生かすために全力を傾けている。
「セギディーリャ」は1902年に録音された一面で、この集の最古レコードである。
これはおそらく蝋管から平面盤に移したものと考えられるが、極めて珍しいレコードである。針音はかなり出るけれども珍しさがそれを充分補っていると思う。

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ヘルマン・ヤドロウカーのレコード

歌い手として当時のヤドロウカーはイタリのテナーと違って、北欧人らしい深沈たる美しさがあり日本人向きのする底光りの味を持った人であった。今この人の『花の歌』を聴いて、まことに感多少である。『花の歌』は難しい歌だ、テナーは誰でも歌うが誰も上手には歌えない。ヤドロウカーの一風変わった抒情的な味は、空々しさが無くて本当に嬉しい。ホセの突き詰めた心持ちは全くこうでなければなるまいと思う。

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エドモン・クレーマンのレコード

クレーマンの『マノンの夢』ほど、旧盤レコード・コンサートで感動を誘うものは無い。ファーラーも、メルバも、カルーソーも、タマニョも聴き尽くしたあとで、このレコードを聴かせると場内は殆ど夢見るような空気に籠められ、静かな、浄化された一種不思議な感動に誘い込まれるのである。

「あゝ、クレーマンの『夢』は矢張り一番良かった」
そういう囁きを私は幾度となく聴いて居る。これは実に不思議なことでもあり、又当然のことであると思う。

クレーマンのうまさというのは全く特別なものであり、日本人向けであると言っても宜しい。この人は決して叫ばない、いつでも静かな中庸な声で巧みに溜まり返る血潮の情熱を表現するのである。あらゆる男性歌手のうちで、この人ほどたしなみの良い人がなく、この人ほど趣味の高い人はない。それは純粋にパリジャンの芸術であると共に、日本人の閑寂な趣味に通う芸術である。それは侘びと寂びにさえ似たものを持った、たしなみ深き表現だったのである。

 

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ルイザ・テトラツィーニのレコード

ルイザ・テトラツィーニは技巧の完全な征服者であると言葉に尽くすより昔の大歌手というものは「こんなにうまかった」と『鐘の歌』を聴かせるのが宜しい。優れた個性の美しさは聴いて確かめるのが一番早い。声の器楽化などと軽視されようともコロラトゥラ・ソプラノもここまで来るとめでたくも楽しい芸術である。

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エマ・カルヴェのレコード

カルヴェがカルメンの最上の演出者であったことは日本でもよく知られている事実である。1902年にロンドンでグラモフォーンに6面吹き込んだが、これが彼女の最初のレコードのように考えられている。カルヴェの声の特徵は、メルバの声は独特の美しさに輝き、彼女の個性がどのレコードにも現れて居たものと全く異なり。そのレコードには生々しい程の感情が再生されている。そして、その曲にふさわしい雰囲気を醸し出し、曲趣を生かすために全力を傾けている。
「セギディーリャ」は1902年に録音された一面で、この集の最古レコードである。
これはおそらく蝋管から平面盤に移したものと考えられるが、極めて珍しいレコードである。針音はかなり出るけれども珍しさがそれを充分補っていると思う。

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ヘルマン・ヤドロウカーのレコード

歌い手として当時のヤドロウカーはイタリのテナーと違って、北欧人らしい深沈たる美しさがあり日本人向きのする底光りの味を持った人であった。今この人の『花の歌』を聴いて、まことに感多少である。『花の歌』は難しい歌だ、テナーは誰でも歌うが誰も上手には歌えない。ヤドロウカーの一風変わった抒情的な味は、空々しさが無くて本当に嬉しい。ホセの突き詰めた心持ちは全くこうでなければなるまいと思う。

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エドモン・クレーマンのレコード

クレーマンの『マノンの夢』ほど、旧盤レコード・コンサートで感動を誘うものは無い。ファーラーも、メルバも、カルーソーも、タマニョも聴き尽くしたあとで、このレコードを聴かせると場内は殆ど夢見るような空気に籠められ、静かな、浄化された一種不思議な感動に誘い込まれるのである。

「あゝ、クレーマンの『夢』は矢張り一番良かった」
そういう囁きを私は幾度となく聴いて居る。これは実に不思議なことでもあり、又当然のことであると思う。

クレーマンのうまさというのは全く特別なものであり、日本人向けであると言っても宜しい。この人は決して叫ばない、いつでも静かな中庸な声で巧みに溜まり返る血潮の情熱を表現するのである。あらゆる男性歌手のうちで、この人ほどたしなみの良い人がなく、この人ほど趣味の高い人はない。それは純粋にパリジャンの芸術であると共に、日本人の閑寂な趣味に通う芸術である。それは侘びと寂びにさえ似たものを持った、たしなみ深き表現だったのである。

 

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ルイザ・テトラツィーニのレコード

ルイザ・テトラツィーニは技巧の完全な征服者であると言葉に尽くすより昔の大歌手というものは「こんなにうまかった」と『鐘の歌』を聴かせるのが宜しい。優れた個性の美しさは聴いて確かめるのが一番早い。声の器楽化などと軽視されようともコロラトゥラ・ソプラノもここまで来るとめでたくも楽しい芸術である。

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エマ・カルヴェのレコード

カルヴェがカルメンの最上の演出者であったことは日本でもよく知られている事実である。1902年にロンドンでグラモフォーンに6面吹き込んだが、これが彼女の最初のレコードのように考えられている。カルヴェの声の特徵は、メルバの声は独特の美しさに輝き、彼女の個性がどのレコードにも現れて居たものと全く異なり。そのレコードには生々しい程の感情が再生されている。そして、その曲にふさわしい雰囲気を醸し出し、曲趣を生かすために全力を傾けている。
「セギディーリャ」は1902年に録音された一面で、この集の最古レコードである。
これはおそらく蝋管から平面盤に移したものと考えられるが、極めて珍しいレコードである。針音はかなり出るけれども珍しさがそれを充分補っていると思う。

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ヘルマン・ヤドロウカーのレコード

歌い手として当時のヤドロウカーはイタリのテナーと違って、北欧人らしい深沈たる美しさがあり日本人向きのする底光りの味を持った人であった。今この人の『花の歌』を聴いて、まことに感多少である。『花の歌』は難しい歌だ、テナーは誰でも歌うが誰も上手には歌えない。ヤドロウカーの一風変わった抒情的な味は、空々しさが無くて本当に嬉しい。ホセの突き詰めた心持ちは全くこうでなければなるまいと思う。

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