ルイザ・テトラツィーニのレコード
ルイザ・テトラツィーニは技巧の完全な征服者であると言葉に尽くすより昔の大歌手というものは「こんなにうまかった」と『鐘の歌』を聴かせるのが宜しい。優れた個性の美しさは聴いて確かめるのが一番早い。声の器楽化などと軽視されようともコロラトゥラ・ソプラノもここまで来るとめでたくも楽しい芸術である。
ルイザ・テトラツィーニは技巧の完全な征服者であると言葉に尽くすより昔の大歌手というものは「こんなにうまかった」と『鐘の歌』を聴かせるのが宜しい。優れた個性の美しさは聴いて確かめるのが一番早い。声の器楽化などと軽視されようともコロラトゥラ・ソプラノもここまで来るとめでたくも楽しい芸術である。
カルヴェがカルメンの最上の演出者であったことは日本でもよく知られている事実である。1902年にロンドンでグラモフォーンに6面吹き込んだが、これが彼女の最初のレコードのように考えられている。カルヴェの声の特徵は、メルバの声は独特の美しさに輝き、彼女の個性がどのレコードにも現れて居たものと全く異なり。そのレコードには生々しい程の感情が再生されている。そして、その曲にふさわしい雰囲気を醸し出し、曲趣を生かすために全力を傾けている。
「セギディーリャ」は1902年に録音された一面で、この集の最古レコードである。
これはおそらく蝋管から平面盤に移したものと考えられるが、極めて珍しいレコードである。針音はかなり出るけれども珍しさがそれを充分補っていると思う。
歌い手として当時のヤドロウカーはイタリのテナーと違って、北欧人らしい深沈たる美しさがあり日本人向きのする底光りの味を持った人であった。今この人の『花の歌』を聴いて、まことに感多少である。『花の歌』は難しい歌だ、テナーは誰でも歌うが誰も上手には歌えない。ヤドロウカーの一風変わった抒情的な味は、空々しさが無くて本当に嬉しい。ホセの突き詰めた心持ちは全くこうでなければなるまいと思う。
1908年から10年にかけて15枚を米ビクターに吹き込んでいるが彼女の名は恐らくオールドファン達の中でも知っている人は少ないかも知れない。まして彼女のレコードを持っていた人は数える外ないだろうと思われる。同じコントラルトでも幅のある深い潤いに満ちた声質と情熱的な一種特有な歌い方は聴く者の心に抵抗し難いものを感じさせる。
ルイザ・テトラツィーニは技巧の完全な征服者であると言葉に尽くすより昔の大歌手というものは「こんなにうまかった」と『鐘の歌』を聴かせるのが宜しい。優れた個性の美しさは聴いて確かめるのが一番早い。声の器楽化などと軽視されようともコロラトゥラ・ソプラノもここまで来るとめでたくも楽しい芸術である。
カルヴェがカルメンの最上の演出者であったことは日本でもよく知られている事実である。1902年にロンドンでグラモフォーンに6面吹き込んだが、これが彼女の最初のレコードのように考えられている。カルヴェの声の特徵は、メルバの声は独特の美しさに輝き、彼女の個性がどのレコードにも現れて居たものと全く異なり。そのレコードには生々しい程の感情が再生されている。そして、その曲にふさわしい雰囲気を醸し出し、曲趣を生かすために全力を傾けている。
「セギディーリャ」は1902年に録音された一面で、この集の最古レコードである。
これはおそらく蝋管から平面盤に移したものと考えられるが、極めて珍しいレコードである。針音はかなり出るけれども珍しさがそれを充分補っていると思う。
歌い手として当時のヤドロウカーはイタリのテナーと違って、北欧人らしい深沈たる美しさがあり日本人向きのする底光りの味を持った人であった。今この人の『花の歌』を聴いて、まことに感多少である。『花の歌』は難しい歌だ、テナーは誰でも歌うが誰も上手には歌えない。ヤドロウカーの一風変わった抒情的な味は、空々しさが無くて本当に嬉しい。ホセの突き詰めた心持ちは全くこうでなければなるまいと思う。
1908年から10年にかけて15枚を米ビクターに吹き込んでいるが彼女の名は恐らくオールドファン達の中でも知っている人は少ないかも知れない。まして彼女のレコードを持っていた人は数える外ないだろうと思われる。同じコントラルトでも幅のある深い潤いに満ちた声質と情熱的な一種特有な歌い方は聴く者の心に抵抗し難いものを感じさせる。
ルイザ・テトラツィーニは技巧の完全な征服者であると言葉に尽くすより昔の大歌手というものは「こんなにうまかった」と『鐘の歌』を聴かせるのが宜しい。優れた個性の美しさは聴いて確かめるのが一番早い。声の器楽化などと軽視されようともコロラトゥラ・ソプラノもここまで来るとめでたくも楽しい芸術である。
カルヴェがカルメンの最上の演出者であったことは日本でもよく知られている事実である。1902年にロンドンでグラモフォーンに6面吹き込んだが、これが彼女の最初のレコードのように考えられている。カルヴェの声の特徵は、メルバの声は独特の美しさに輝き、彼女の個性がどのレコードにも現れて居たものと全く異なり。そのレコードには生々しい程の感情が再生されている。そして、その曲にふさわしい雰囲気を醸し出し、曲趣を生かすために全力を傾けている。
「セギディーリャ」は1902年に録音された一面で、この集の最古レコードである。
これはおそらく蝋管から平面盤に移したものと考えられるが、極めて珍しいレコードである。針音はかなり出るけれども珍しさがそれを充分補っていると思う。
歌い手として当時のヤドロウカーはイタリのテナーと違って、北欧人らしい深沈たる美しさがあり日本人向きのする底光りの味を持った人であった。今この人の『花の歌』を聴いて、まことに感多少である。『花の歌』は難しい歌だ、テナーは誰でも歌うが誰も上手には歌えない。ヤドロウカーの一風変わった抒情的な味は、空々しさが無くて本当に嬉しい。ホセの突き詰めた心持ちは全くこうでなければなるまいと思う。
1908年から10年にかけて15枚を米ビクターに吹き込んでいるが彼女の名は恐らくオールドファン達の中でも知っている人は少ないかも知れない。まして彼女のレコードを持っていた人は数える外ないだろうと思われる。同じコントラルトでも幅のある深い潤いに満ちた声質と情熱的な一種特有な歌い方は聴く者の心に抵抗し難いものを感じさせる。
ルイザ・テトラツィーニは技巧の完全な征服者であると言葉に尽くすより昔の大歌手というものは「こんなにうまかった」と『鐘の歌』を聴かせるのが宜しい。優れた個性の美しさは聴いて確かめるのが一番早い。声の器楽化などと軽視されようともコロラトゥラ・ソプラノもここまで来るとめでたくも楽しい芸術である。
カルヴェがカルメンの最上の演出者であったことは日本でもよく知られている事実である。1902年にロンドンでグラモフォーンに6面吹き込んだが、これが彼女の最初のレコードのように考えられている。カルヴェの声の特徵は、メルバの声は独特の美しさに輝き、彼女の個性がどのレコードにも現れて居たものと全く異なり。そのレコードには生々しい程の感情が再生されている。そして、その曲にふさわしい雰囲気を醸し出し、曲趣を生かすために全力を傾けている。
「セギディーリャ」は1902年に録音された一面で、この集の最古レコードである。
これはおそらく蝋管から平面盤に移したものと考えられるが、極めて珍しいレコードである。針音はかなり出るけれども珍しさがそれを充分補っていると思う。
歌い手として当時のヤドロウカーはイタリのテナーと違って、北欧人らしい深沈たる美しさがあり日本人向きのする底光りの味を持った人であった。今この人の『花の歌』を聴いて、まことに感多少である。『花の歌』は難しい歌だ、テナーは誰でも歌うが誰も上手には歌えない。ヤドロウカーの一風変わった抒情的な味は、空々しさが無くて本当に嬉しい。ホセの突き詰めた心持ちは全くこうでなければなるまいと思う。
1908年から10年にかけて15枚を米ビクターに吹き込んでいるが彼女の名は恐らくオールドファン達の中でも知っている人は少ないかも知れない。まして彼女のレコードを持っていた人は数える外ないだろうと思われる。同じコントラルトでも幅のある深い潤いに満ちた声質と情熱的な一種特有な歌い方は聴く者の心に抵抗し難いものを感じさせる。