ベートーヴェンが都会的か否か風化などと論じるのは意味が無い。彼には、その両方があり、また同時にそれを突き抜けた存在であった。しかし、モーツァルトとなると、シュナイダーハンは実に自然で無理がなく、フレージングといい、音の作り方といい、形式の把握といい、一点の難もない。シュナイダーハンはウィーン・フィルのコンマスも務めたウィーン出身の名手。かつて「神童」と呼ばれ、18歳でウィーン交響楽団のコンサートマスターを務めたが、ナチスによって、第1コンサートマスターであったアルノルト・ロゼがロンドンへ亡命せざるを得なくなったため、1938年にウィーン・フィルの第1コンサートマスターに就任した。モーツァルトには特別な思い入れがあったようで、5曲の協奏曲すべてに自作のカデンツァを用意するほど気合いが入っている。
彼のヴァイオリンには気品があり、貴族的な香りがします。ヴィブラートは振幅が狭く控えめで、決して過激に走らず、抑制され、統制されています。一聴するとぶっきらぼうに聴こえるかもしれません。しかし、そこにはテクニックを誇示しようとか、驚かせようとかいう下品な恣意的さは一切なく、ただ音楽を等身大に美しく奏でようとする音楽家の姿があります。また彼の音は線が細いながら、音楽の骨格はしっかりしているところにあります。冒頭から汗臭さとは無縁で気品があります。分り易くないですが、明るく気品がある中に、ほんのり影があり、じわじわと「心に染み入る」感動がある音楽です。
シュナイダーハンがドイツ・グラモフォンに残した録音の中でも第1といえる代表盤がこのモーツァルト。第4番と第5番は数種の録音を残しているシュナイダーハンですが、弾き振りをして1965年から1967年にかけてモーツァルトのヴァイオリン協奏曲全5曲とヴァイオリンと管弦楽のためのアダージョ ホ長調 K.261、ヴァイオリンと管弦楽のためのロンド 変ロ長調 K.269、ヴァイオリンと管弦楽のためのロンド ハ長調 K.373までの全てを録音したなかのもの。シュナイダーハンが全てのカデンツァを自作し、指揮も自ら行うなど、融通無碍の境地に至った彼の音楽家としてのすべてが注ぎ込まれた名演です。演奏面でもモーツァルトの音楽が自在に再創造されています。とくに第3番終楽章での〝遊び〟など痛快そのものです。時代をときめくヴァイオリニストがオーケストラを弾き振りしたモーツァルトのヴァイオリン協奏曲全集と言えば、このセットから5年後に完成されたオイストラフ~ベルリン・フィル盤がある。
確固たる造型性と音量の豊かなスタイルという点では両者には共通性があり、輝くような伸びやかな響きと、伸びやかなカンタービレ、そして若きデイヴィスの颯爽とした指揮に抜群のアンサンブルで応えるロンドン交響楽団の繊細優美なグリュミオーとは異なる方向性を示していて比べようもないと言えるが、シュナイダーハンには加えてウィーン風味が感じられる。オーケストラはベルリン・フィルで編成はかなり刈り込んでいて大人数でなぎ倒すようなゴージャスなサウンドではない。滋味豊かな品格の高いモーツァルト演奏です。協奏曲の代替楽章として作曲されたアダージョやロンドも作品の魅力を伝えてくれる演奏で、協奏曲全集共々一度は聴いておいて損はない。
1967年2月6‐13日ベルリン、イエス・キリスト教会でのステレオ・セッション。Producer – Karl Faust, Recording Supervisor – Rainer Brock, Engineer – Hans-Peter Schweigmann