アメリカ合衆国をメインのターゲットとしてカラヤン&ウィーン・フィルは世界ツアー(この間にカラヤンだけは単身来日)に旅立ち大成功に終わり、英 DECCA は 1959年に EMI と契約の切れたカラヤンと契約。それは英 DECCA 社がウィーンフィルを掌握したことも意味した。正確には既にウィーン・フィルと専属契約を結んでいた英 DECCA が外堀を先に埋めて大将を迎え入れた戦略ととれる。このあと、1965年までカルーショーが後世に伝えるに相応しいカラヤン&ウィーン・フィルの名盤をこの六年間で製作することになる。
オペラの全曲盤の録音の合間には交響曲、管弦楽曲を録音。十数枚の LP レコードで発売され今でも優秀録音で人気だ。ベートーヴェンの7番、ブラームスの1番、ツァラトゥストラはかく語りき、モーツァルトの40番とハイドンの104番、ヨハン・シュトラウスのワルツ、チャイコフスキーのロメオとジュリエットとリヒャルト・シュトラウスのドン・ファン、ティル・オイレンシュピーゲルの愉快ないたずら、クリスマス曲集、ブラームスの3番、チャイコフスキーのくるみ割り人形とグリーグのペール・ギュント、アダンのジゼル、ホルストの惑星、ドヴォルザークの8番、モーツァルトの41番とハイドンの103番、チャイコフスキーの白鳥の湖と眠りの森の美女の順で、すぐに売上に結びつく選曲だ。モーツァルトは39番があれば3大シンフォニーが揃うのに、ドヴォルザークの新世界は聞きたかったな、と思う。散漫にも思えるし、モーツァルトとハイドンの組み合わせは自然としてチャイコフスキーの《ロメオとジュリエット》とリヒャルト・シュトラウスの《ドン・ファン》は度肝を抜く。
しかし、この2曲こそにカラヤンの50歳代の全てが注がれていると聴く。
カラヤンの指揮する曲は概して大胆さや迫力にプラスして、丁寧でかつ美しい。とりわけ、ゆっくりしたテンポでの美しい旋律は、カラヤンの最も得意とする部分だ。
本盤で例えれば、怒濤のような旋律の中で、ぱっと花が咲くように美しいメロディーが流れる。この点にかけては、カラヤンは見逃さず見事に再現している。言い換えればダイナミックレンジが広いとでもいえましょうか。
WIDE BAND WITH GROOVE ORIGINAL RECORDING BY THE DECCA ED1 ORIGINAL, STEREO 1枚組(160g), Release 1961, Stamper 1E/1E。
品番 | 34-1000003 |
販売価格 | 18,000 円(税別) |
SXL シリーズは SXL 2001 から始まる 2,000 番台、SXL 6001 から始まる 6,000 番台がありますが、2,000 番台の全てと 6,000 番台前半のレコードがこれに該当します。レーベル中にデザインされている銀色の帯(黒色で「FULL FREQUENCY」と書かれている)の幅が 13 ミリメートルあり、ED4 よりかなり広い。そのため、「ワイド・バンド」とも呼ばれています。
また、ラベル上部、10時位置から右向きに「 Original Recording By … 」の文字が見られます。 更に、ラージ・レーベルの外周から約1センチのところに溝( GROOVE )があり、この3つが揃っているものを ED1 ( English Decca 1 )と呼び、SXL の最初期ラベルとなります。このレーベルが、デッカのステレオレコードの中でも、もっともプレスの時期が早く、オーディオファイルたちの憧れの的です。
[signoff]The post 怒濤のような旋律の中でパッと花が咲くように美しいメロディーが流れる ― カラヤン指揮ウィーン・フィル チャイコフスキー《ロメオとジュリエット》、リヒャルト・シュトラウス《ドン・ファン》 first appeared on Classical Notes.]]>25日日曜日午後、今年最初の蓄音器コンサートを開催します。
曲はベートーヴェンの田園。
SPレコード時代から田園の名演奏としてスタンダードにまでなった録音です。この曲は欄外に記したように、ロマン派の標題音楽の先駆をなす交響曲と言われてもいます。
でも、文中の核とした通り、自然の描写ではなく自然に接してベートーヴェンの中から沸き上がる感謝の気持から生み出されたものという見方も出来ます。
曲は5楽章というユニークな形態ですが、また第3から5楽章までの3つの楽章は続くて演奏される。そこで明日の例会では3つのパートに区切って話と鑑賞を行なっていきます。
昨年も自然の脅威を感じる事件、災害が多くありました。
毎年念頭には今年は大事の起こらない一年でありますようにと念じますが、そういう時にベートーヴェンの第6交響曲は相応しい音楽ではないでしょうか。
そしてワルターの演奏は本当にそういう気持ちで聴くときにしっかり手応えを感じさせる演奏ではないでしょうか。
例会は2015年1月25日、午後1時30分。熊本市細工町の五福公民館で開催。例会への参加は自由です。
[notification type=”alert-info” close=”false” ]くわしくは大阿蘇は雪が降っている熊本。市内は降雪はなく青い空が開けていますが、それは空気が澄んでいて阿蘇山では雪が降っているんだなぁと、この季節ならではの気象状態です。室内から空や表通りを観る限りでは、外出したら気持ちが良いだろうなと思いましたが年賀状を受け取るのに玄関を出たら通りを凄まじい音で風が通り抜けています。
それは見えないモンスターが次々と阿蘇から降りてきているように感じられました。
大晦日には午後になって激しい雷が轟いて雨が降った。幸いに時間ほどで止みましたが熊本の師走、正月は12月に入った頃に一旦寒さがやってきてピークは忠臣蔵の放送がある半ば。クリスマスに雪が降れば塩梅の良い演出となるもので正月三が日は晴れている。ということが多いでしょう。
2014年から2015年への年越しも同様で、いつもと変わりない元日を過ごしています。
年越し、年初の楽しみはウィーン・フィルのニューイヤーコンサート。生中継まで時間が迫っています。新年最初のワクワク感です。
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団は、長年にわたり新年に、シュトラウス一家やその同時代の作曲家の数々のレパートリーより、明るく楽しい、そして内容 豊かなプログラムでニューイヤーコンサートを行っています。
このニューイヤーコンサートは、ウィーンのムジークフェラインの観客に大変人気があるだけでなく、世界中へのテレビ中継もすでに46ヵ国で行われており、オーストリア国内のみならず海外でも大変によく知られ親しまれています。
かつてのオーストリアの歴史の暗い一幕においては、これらのコンサートはオーストリア国民に自国へ回帰の念を呼び起こし、同時によりよい時代への希望をもたらしました。今日では、世界中の何百万という人たちが、ニューイヤーコンサートの軽やかで、また内容の深い音楽に感動し、新しい年を喜びと期待をもって迎えていただいています。
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団は、ニューイヤーコンサートを通じて、このジャンルの名作の貴重な演奏のみならず、オーストリアの音楽大使とし て、世界中の人々に希望と友情そして平和のご挨拶をお届けしたいと願っています。
本日午後7時(日本時間)、恒例のウィーンフィルハーモニー管弦楽団によるニューイヤーコンサートが開演する。
ウィーン・フィルのニューイヤーコンサートは、毎年1月1日にウィーン学友協会の大ホールで行われる音楽界の一大イベント。チケットの入手は極めて困難で、毎年一年前から抽選が行われることで知られている。
コンサートの曲目はウィーンを代表する音楽家であるシュトラウス一族のワルツやポルカ。新年を祝うにふさわしい明るく華やかな雰囲気で行われ、アンコールの定番「ラデツキー行進曲」では観客も手拍子を入れて会場が一つになることで有名だ。
2015年の指揮者はズービン・メータ。1990年に初めて指揮を執って以来、5度目のニューイヤーコンサートとなる。ウィーン・フィルとの関係が深く、日本でも人気の高い世界的指揮者であるメータ。演奏のほどに期待が高まる。気になるプログラムは以下の通り。
— 休憩 —
大巨匠フルトヴェングラーが没したのは、肺炎での病死だった。ベルリン・フィルの首席指揮者に在任中のまま後継者を指名できずに世を去った。チェリビダッケを考えていたようだし、ベルリンの新聞はチェリビダッケに風を向けていた。でも、チェリビダッケはフルトヴェングラーとの仲を断ったままだった。
結果、フルトヴェングラーの死後、ベルリン・フィルの首席指揮者はヘルベルト・フォン・カラヤンが後を受けた。病床で知らせを感じていただろうフルトヴェングラーには歯がゆいことだったでしょう。フルトヴェングラーがライバル視して、事あるごとに抗っているのを現代から振り返ると、足掻けば足掻く程カラヤンの格を上げてしまったように見える。
1954年11月30日に68歳で没したフルトヴェングラーの、60回目の命日を迎えた。
1931年にフルトヴェングラーは『音楽の生命力』と題するエッセイを書いている。(『音と言葉』所収)
これからの音楽家にはレコード録音が重要なのを認めていた。良いレコードをつくるためには『極端なニュアンスや、本格的なフォルティッシモやピアニッシモは極力これを避けねばならない』と具体的に指摘し、テンポについても『極めて緩慢なテンポは、ややもすれば退屈で気抜けしたものと成り、極めて速いテンポは騒々しく不明瞭になりがち』だし、休止と総休止も出来るだけ控えめにすべきだと分析している。
実に良く昭和初期のSPレコードの特性を理解していました。でも、その理解していることポイントを彼には充分に活用できなかった。
実際に録音で試みてみたものの、プレイバックを聴いて諦めた。
スタジオ録音においてフルトヴェングラーは一生懸命に、極端なニュアンス、本格的なフォルティッシモやピアニッシモ、極めて緩慢なテンポ、極めて速いテンポを避け、休止と総休止も控えめにしようとした。だが、そうして出来たレコードは平板で退屈なものに成ってしまう。
戦時下でのフルトヴェングラーのライヴ録音は、その時の楽団員の想い、国民の苦悩が代弁されているように感じます。1951年のバイロイト音楽祭でライヴ録音されたベートーヴェンの交響曲第9番は、誰もが戦争が終わったと心のなかに広がった感情が今も私達の気持ちを震わせるのです。と共に、それまでフルトヴェングラーに憑依していたものだったように、その戦後のフルトヴェングラーの音楽は表情が変わる。
録音から60年以上経過しても歴史的録音と言えないほど『バイロイトの第九』は、全てのミュージシャン、音楽愛好家には大きく立ちふさがっているレコードでしょう。
でも、この時の録音は当初は発売する予定がなかった。これは驚いちゃうことですが、フルトヴェングラーの死の直後に発売されると歴史的名盤になるという皮肉な結果と成った。この《第九》が発売された時、カラヤンの前に、これまで立ちふさがっていた大きな敵である現実のフルトヴェングラーに代わって、カラヤンの膨大なレコード録音は、このフルトヴェングラーの『死後も残る名声』と生涯にわたって闘っていただけかもしれない。
CD時代に成り、インタビューでカラヤンは『時間があれば、自分のレパートリーを全てデジタル方式で録音し直しCD化したい』という言葉の裏に、レコードを過去のものにしたい。それにはカラヤン自身のアナログ録音もフルトヴェングラーの全部のレコードも葬って、その上で自分の新録音だけの王国が築かれるのを夢想した。
カラヤンの最初のデジタル録音はワーグナーの舞台神聖祭典劇《パルジファル》(1979年12月録音)だったが、発売はモーツァルトの歌劇《魔笛》(1980年1月録音)が第一弾を飾った。なにより1980年12月から1981年1月の時期に録音されたリヒャルト・シュトラウスの《アルプス交響曲》、ホルストの《惑星》はCDでの成果が大きかった。レコードのA面、B面を、ひっくり返す必要がなく一気に音楽に没頭できた。
デジタル録音で“自分のレパートリー”のどれだけをカラヤンは録音できたのだろう。1989年に亡くなる。その後の状況は私達がよく理解っていることだ。
カラヤンの死を待っていたかのように、その年の秋、ベルリンの壁は崩壊した。
終戦時、ベルリンに到達したソ連軍がベルリンの放送局から押収し、モスクワに持ち帰った膨大な料の録音テープがあった。その中にフルトヴェングラーの戦中のライヴ録音が有ることは以前から知られており、そのテープが1987年に返還されていた。
カラヤンが急死した年の暮れ、ドイツ・グラモフォンはフルトヴェングラーが戦争中に演奏した公演のライヴ録音のCDをセットで発売した。
カラヤンが生きていたらどう思ったであろうか。それ以前からもデジタル技術はフルトヴェングラーの過去の傷だらけの録音を新鮮なものに蘇らせ、夥しい数が市場に出たことは苦々しく感じていただろう。
カラヤンがデビューした時にフルトヴェングラーが、ベルリン・フィルでカラヤンがコンサートを行えないようには謀れたけれどもレコーディングまでは口出しできなかったことが、ここで逆転してカラヤンの強力な情報操作でも口出しできなかった。
濃厚な官能性と、高い精神性と、その両方が一つに溶け合った魅力でもって、聴き手を強烈な陶酔にまきこんだフルトヴェングラーの音楽は類稀な観念と情念が生き返ってくるのがきこえるもので作曲家たちが楽譜に封じ込めた思いまではレコードでは伝えきれないものだと思います。カラヤンとフルトヴェングラーの音楽は、そこで有り様が分かれ道なのです。
[lastupdated format=”Y年, F j日, l” before=”最終更新日は” after=”です。”]The post 『極端なニュアンスや本格的なフォルティッシモやピアニッシモは極力これを避けねばならない』と具体的に解ってはいるけれども自分に出来ないジレンマ first appeared on Classical Notes.]]>
平和を祈ることに音楽活動のすべてが繋がっている指揮者ダニエル・バレンボイムはそ、の思いが強いことは良く知られていることです。平和は唱えるだけではなく自分ができるところから心がけていけば連鎖的に広がっていくものだと、まさにシュトラウスのワルツに寄せて全世界で最初に注目されるクラシックのコンサート。
ダニエル・バレンボイムはコンサートの最初の曲に愛妻の名前のある曲をまず演奏しました。番組ではピアニストでバレンボイム夫人のエレーヌさんを何度も映し出していました。
楽団員が演奏をしながら歌う『エジプト行進曲』も、バレンボイムの希望だったということです。彼は現在エジプトのオーケストラを指揮していて、その応援の気持ちが現れてのことです。
プライヴェートな理由ですが、これが最も大切なことで希望の理由に、そう言えることが素晴らしい行為ではないでしょうか。
プログラム
第一部
第二部
台湾から中継された福山雅治さんの2014年へのメッセージが、その後歌われた「誕生日には真白な百合を/Get the groove」共に2013年の紅白歌合戦を総括していた。それを違う表現で歌われてきたのが泉谷しげるさんの『春夏秋冬』。ぶっきらぼうで乱暴に見える泉谷さんですが、誰よりも音楽の力を絶えず歌ってきた存在だろう。泉谷しげるさんの登場がここだったのは、このふたりの歌うメッセージが伝わりやすいように3時間の数々の歌手の歌のメッセージがあってこそ。
いきなり単独では、これほどはっきりと歌の内容が心に響かないでしょうね。
新しい年の最初に音楽がしてくれる「お・も・て・な・し」。
ウィーン・フィルのニューイヤーコンサート。今年はダニエル・バレンボイムが指揮をします。前回は2009年に指揮台にたちました。
ウィーン・フィルのニューイヤーコンサートが新春にテレビで楽しむのが定番となるのは、ウィリー・ボスコフスキーが初めてコンサートをデジタル録音して発売されたレコードが原点。実のところは前日までのリハーサルを編集したものですが、それが全世界に生中継されるまでなりました。
1955年から79年までボスコフスキーが指揮をしていた後を、ロリン・マゼールが7年間引き継ぎますがウィーン・フィルとの中が怪しくなり、ちょうどベルリン・フィルを決裂してウィーン・フィルとの中を深めたかったカラヤンが1979年に登場。これはセンセーショナルでした。
まさか毎年新春にカラヤンの演奏が、無料で中継されるなんて。その期待は毎年入れ替わり指揮者が登板するスタイルになりますが、ニューイヤーコンサートのスタイルを変える事にもなりました。
ボスコフスキーが成し得たことは、毎年新しい曲を発掘すること。シュトラウス・ファミリーのワルツは作曲されて演奏された機会きり眠ったままの楽譜が多く、ウィーン楽友協会のライブラリを整理することが目的でもありました。マゼールは自身、ヴァイオリニストでもありますから上手に継承できたのです。その後は、ライブラリにある楽譜を丹念に勉強するような指揮者のゆとりもないでしょうが、同じ曲でも指揮者の味で違うのがわかりやすいものとなりました。
ダニエル・バレンボイムの音楽からは、楽譜に書かれたドラマが聴こえる。音符が描こうとしたもの、それが情感として響きます。カラヤンはベルリン・フィル、ウィーン・フィルから自分の響きを引き出しましたがバレンボイムはオーケストラの生成りの響きは時に荒々しく露呈させてしまうところがあります。新春の寿ぎを覚ます瞬間も無きにしもあらずですが、年の始の聞き逃せない音楽の放送時間が迫っています。
The post ヴィジュアルでは見劣りするだろうけどサウンドは逃しちゃいけないぞ バレンボイムのニューイヤーコンサート first appeared on Classical Notes.]]>気宇壮大の遊びとユーモアが大きく深呼吸しているのが、クナッパーツブッシュの「ウィーンの休日」。かの名ソプラノ、エリザベート・シュワルツコップが「無人島に持っていく一枚」と評した言葉だけが常套句のように使いまわされて各処で評価の話題に登りますが、これは20世紀のシュトラウス演奏の規範とは評価出来ないアルバムです。
《ウィーンの森の物語》は人間を暖かく迎えたり、時として人間に厳しさを思い知らせる森の風景。それはジークフリートがどこかでドラゴンの鼻ちょうちんを蹴たぐったようです。地味で素っ気無い無愛想とさえいえるヨハン・シュトラウスですが、辛口ではなく表現力は意味深く。スタイルを超越した灰汁の強い崩しは病み付きになるのだろう。
師走はワーグナーの楽劇、ベートーヴェンの第九で締めくくり。新年は早朝からゆっくり時間が取れればバッハのカンタータ『太鼓よ轟け、ラッパよ響け』だけを聴く。夜は毎年欠かしていないのがウィーン・フィルのニューイヤーコンサートです。
最後のアンコールで演奏されるヨハン・シュトラウス父作曲の「ラデツキー行進曲」が終わると、元旦が終わったと実感します。何年か前に緊急事態で演奏されないことがあった時、新年の始まりを感じられなくて“あぁ、自分にとってはけじめになる音楽なんだな”と認識した次第。日々の中でも、もうちょっとだ頑張れと自分自身を後押しするようなときには口三味線でメロディーをナゾッていることがあります。
ほろ酔い気分の息子たちのワルツと違って、父ヨハン・シュトラウスの人柄を感じられるような音楽。息子に音楽家になるな、と厳しかったのが目に見えるようです。
12月22日放送の、NHK-FM“きらクラ”は年内最後の放送でしょうか。お二人が選んで紹介してくれるコーナーでは新鮮な気持ちで改めて曲に接する機会を得られています。それ共々、新年も初めて出会う曲を楽しみです。ちょっと早いですが、メリー・クリスマス・アンド・ハッピー・ニュー・イヤー。
レコード、CD で親しんできた「ラデツキー行進曲」は管弦楽の主題で始まる。
鼓笛隊風に、リズミックな小太鼓が先導するようになったのはアーノンクールがニューイヤーコンサートに登場した時からではないでしょうか。
この曲は、父ヨハン・シュトラウスと息子の名前が併記してあることもあり、どのくらいの相違があるのか具体的な答えは持ってません。アーノンクールが指揮したウィンナ・ワルツの数々はどれも新鮮で、ちょうどミックスを作るのが面白かった頃だったので合いの手代わりにこの小太鼓のリズムを使ってポプリを作った思い出があります。
ラデツキー行進曲は、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団のニューイヤーコンサートにおいて、アンコールの掉尾を飾る曲として伝統的に使用されているが、この版は長年にわたって楽団員たちが手を加え続けたものであり、原典版とは大きく楽器法や音の強弱などが変化している。
ラデツキー行進曲がアンコールに演奏されてお開きとなるスタイルはいつから定着しているのでしょう。
ウィンナ・ワルツを聴くなら、ウィリー・ボスコフスキーの指揮で。DECCA の初デジタル録音だった二枚組の「ニューイヤーコンサート 1979」で「ラデツキー行進曲」は最後になっています。衛星中継ではなく録画放送だったと思いますし、家庭用ビデオはようやく普及していた時代ではないでしょうか。これが演奏会の全体をオーディオで楽しめるレコードとして発売され、名盤としてコレクター必聴の定番。
巨匠、クナッパーツブッシュ(1988~1965)はレパートリーの狭い指揮者でしたが、ヨハン・シュトラウスの音楽を面白おかしく聞かせてくれます。それは溺愛していたワーグナーや陶酔していたブルックナーでの彼からは想像できません。
で、彼のことばの中にこんなのがある。
諸君は何度もこの曲を演奏しているし僕も知っているから明日演奏会場で会おう。
クナッパーツブッシュ(1988~1965)
出会い頭のハプニング。千載一遇の録音として聴いてほしい。もちろん“明日演奏会場で会おう”と言えるのは指揮者と楽団員の親しさが深かったことがわかります。地味で素っ気無い無愛想とさえいえるヨハン・シュトラウスですが、辛口ではなく表現力は意味深く。《ウィーンの森の物語》は人間を暖かく迎えたり、時として人間に厳しさを思い知らせる森の風景。ジークフリートがどこかでドラゴンの鼻ちょうちんを蹴たぐったようです。
ツィターのコムツァークが加わる演奏ですが、ツィター奏者の息遣いがしっかり聞こえます。録音エンジニアはジェームズ・ブラウン。彼のいるステレオ録音チームに後に DECCA の看板と言われるケネス・ウィルキンソンが加わった時期で、色々ディスカッションしてマイクの配置などが決められたのでしょうね。
この「ウィーンの休日」は、まだまだステレオ再生装置が普及してない頃でモノーラル盤用の録音は別セットだったと言われています。
翌年に米RCAの名盤。ライナー指揮シカゴ交響楽団の「Vienna 美しく青きドナウ〜ウィンナ・ワルツとポルカ名演集」が登場。レコーディングには「ウィーンの休日」は意識され研究されたことでしょう。
クナッパーツブッシュ、ライナー盤共に伝説と言われている名盤ですが実際どのくらい2枚のレコードが意識されているのでしょう。かの名ソプラノ、エリザベート・シュワルツコップが「無人島に持っていく一枚」と評した言葉だけが常套句のように使いまわされていますが、その真実は。安易に言葉の表面だけを受け止めていると誤解に驚きます。
気宇壮大の遊びとユーモアが大きく深呼吸している。ライナー盤にもその存在は確信できるウィンナワルツです。
20世紀のシュトラウス演奏の規範とは評価出来ないアルバム。曲想の変化に伴ってテンポは弛緩し、予期せぬアクセント、隠されている対旋律の強調と流麗で華やかなイメージでは無いのに聴き手の心をくすぐります。スタイルを超越した灰汁の強い崩しは病み付きになるのだろう。
わがままが傑出したスケール豊かな好演。時代を超えた怪演として聴き継がれるだろう。
曲目:Side-1
曲目:Side-2
中古品につき売却済みの際はご容赦ください。
Amazon.co.jp での取り扱い開始日: 2013/9/24
Record Label | Black/Silver ‘grooved sideband’ labels “ORIGINAL RECORDING BY” at 11 o’clock |
Recording & Weight | ffss STEREO 1枚組 180g |
Release & Stamper | 3E/3E |
℗©1958, 9.58
価格 |
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中古市場での目安価格 | 30,000 円 |
販売価格 | 36,750 円 |
関東への配送料 340円。代金引換が利用できます。
The post 秘蔵盤 クナッパーツブッシュの「ウィーンの休日」 first appeared on Classical Notes.]]>流麗で艶やかなウィーン・フィルが、きびきびと演奏している。弦楽奏者がしゃかりきになって弓で弦をこする、松ヤニの飛沫の匂い。録音は超一流。
ジャケットのデザインを観れば分かることですが、デジタル録音ではなくてアナログ録音の究極美のレコード芸術と言える完成度で、ベートーヴェンの誰もが知っている《運命交響曲》だけに、レコードの歴史上でも大きな足跡となったのでしょう。
カルロス・クライバーは優れた指揮者であったことは音楽を楽しんでいるような指揮姿からもびしびしと伝わってくるものですが、大きな存在としてエーリッヒ・クライバーは父親では有って欲しくなかったことでしょう。
エーリッヒ・クライバーは屈指の指揮者だけれども、父親としてはどういう指導者であったのかは推測も出来ない。
両クライバーが録音した同じ楽曲を比較して聴くことは酷なことでしょう。しかし、カルロス・クライバーが急死して7年。35年前にセンセーショナルとなった《運命》を改めて聴く時、父親の影を振り払おうとするようなもがきは響いてきません。
ライヴではなくてセッション録音であることが、極めて高密度な緊張感を指揮者にもオーケストラにも訪れているようです。録音はそれをドキュメントのように録らえています。
☆通販レコード 販売中☆
【交響曲】http://amadeusclassics.otemo-yan.net/e580339.html
Products | |
レーベル: | 英 Deutsche Grammophon |
レコード番号: | 2530 516 |
オリジナリティ: | ブルー・リング・ラベル |
Composer | Title |
ベートーヴェン | 交響曲 No.5 《運命》 |
Performer | |
指揮: | カルロス・クライバー |
管弦楽: | ウィーン・フィル |
1975年リリース。クライバーの超人気盤です。