そこでなぜ、この第41番に『ジュピター』と愛称がついたか興味をもつと面白い説明に出くわす。『ジュピター音型』というのが曲に使われているらしい。ところが、モーツァルトの交響曲第1番には同じジュピター音型が、すでに登場していることも興味を持ってくると解説されているものに出くわすことになる。
ジュピター音型とは、「ド・レ・ファ・ミ」の音階で、現存する最初の交響曲である《第1番》に、最後の交響曲である『ジュピター』に現れる音型が既に用いられていることに、ある、宿命的な連鎖を感じてします。
モダン・オーケストラで聴くか、ピリオド・オーケストラで聴くか。演奏スタイルの好き嫌いの是非は問わず、図書館で借りて聴き比べて欲しいのが次のふたつのセット。とても良い経験になります。
モーツァルト:交響曲全集モーツァルトの交響曲全集の定番か。カール・ベームがベルリン・フィルを使って録音しており、カラヤンのオーケストラをベームが指揮したことで、音楽的には個性のない仕上がりで最適。第1番から41番を演奏。しかし、37番は演奏していなくて、全46曲を録音している。計算式にすると、(1…41)-37=46曲。
モーツァルト:交響曲全集こちらがモーツァルトの交響曲全集では最大規模。ホグウッドは37番も録音していて、総曲数は71を数える。モーツァルトの時代の楽器を使って、オーケストラのチューニングも当時は現代よりもピッチが低かったということで取り組まれ全世界的に注目された。ニックネームの有る有名な交響曲は1枚ものでリリースされ、アナログレコード時代に話題に成った。
第40番はクラリネットの有る楽譜と、クラリネットの無い楽譜の2種類が残っている。作曲の依頼主のオーケストラにクラリネット奏者がいなかったから、それに合わせて一旦渡した楽譜だったが、後にであった名クラリネット奏者に触発されてクラリネットを追加した楽譜を書いたのかどうかは不明。でも、クラリネットの有る無しで楽曲全体の印象が異なる。大抵の演奏においては指揮者の判断で両方をブレンドしたような演奏がされている。ホグウッド版は、折半した演奏ではなく各々で全曲を録音しているので幾つかの曲は同じ交響曲の異稿版も含んでいます。その為、ベームの全集はCD10枚組で、ホグウッドの全集はCD18枚組だ。
ここから本題。モーツァルトの交響曲の数え方には説明がいる。ケッヘルが最初に41曲と連番を振ったことも障害となっていて、不便な混乱をも強いる。
CDの交響曲全曲集を手にした人は、どこから聞こうかなと曲目一覧に目を通した時に、まず不思議に思うことがあるだろう。後期3大交響曲は、39番、40番、41番で問題ないが、後期6大交響曲となると36番からではなく、交響曲第35番《ハフナー》からとなっている。35、36《リンツ》、38、39、40、41《ジュピター》だ。
37番はどこへ行った?… CDについた曲目表を目でおって、指で指し示しながら、探すだろうが、まず、どこにも37番がない。なぜだろうか。
モーツァルトの最初の交響曲は1,764年に、最後のものは1,788年に書かれた。モーツァルトの交響曲について書いた多くの解説には作曲家としての成長で、その作品も大きく変貌したと《ジュピター》を優れていると評価している。でも、これは確かに人間としての成長はあるが、モーツァルトにこと関しては人間の成長と作品の発展を混同する間違いを犯したらいけない。
モーツァルトの交響曲のスタイルの変化は演奏するオーケストラや場所の条件や、対象とする聴き手と密接に関連している。
昔から番号のついた41の交響曲のうち2番、3番、11番、37番はモーツァルトの作曲としてはカウントしない。― しかしながら、前述の37番は、正確には短い序奏だけはモーツァルトの筆である。
そこで、41から4つを引いた、37曲に近年発見された K. 19a と K. 45a が、それぞれ番号無しだが追加されて39となる。しかしながら、ハフナー・セレナーデから交響曲第35番《ハフナー》が生み出されたことは知られることで、同様の曲はハフナーだけでなく、13曲が存在し、これらも交響曲にカウントできる。そうでないと、交響曲第35番《ハフナー》は交響曲ではないということに成ってこんがらがる。
ということで、モーツァルトが以前の作品から創りだした13の交響曲を加え、モーツァルトの交響曲の総数は52となる。
The post モーツァルトの交響曲は何曲でしょうか? ー ケッヘルは最後の交響曲『ジュピター』を第41番としましたが、最小で37曲、多いのだと71曲の全集が有る。 first appeared on Classical Notes.]]>モーツァルトの楽曲は演奏会に良くプログラムされますが、普通の ― モーツァルトの全作品演奏などのプロジェクトではない ― 演奏会とオペラのレパートリーに登場するモーツァルトの作品は100曲を下回る。ただ、その100曲ほどの曲を聴くだけで、毎日楽しい音楽生活にしてくれる。
この本の邦タイトルは『事典』ですが、序文で著者は「このエッセイ…」と書き出している。そして、「私がモーツァルトの音楽について研究し、教え、執筆し、モーツァルトの音楽を演奏した時に経験してきた楽しさと発見の感覚を、いくらかでも広範な聴衆と分かち合うことだった。」と続ける。
「モーツァルトの生涯の最後の10年には、めったに聴かれない曲が何十もある。また1770年代の数百曲も正当な評価を待っている。」。だから、狭い範囲にとどまらずに敢えて『めったに聴かれない曲』に財宝を見つけるとレジャーに役立てて欲しいと願っている。
完全翻訳じゃない、とすると語弊がありますが、日本のモーツァルト研究は海老沢敏先生が出版した研究が偉大で日本のモーツァルト愛好家には親しまれています。そこで、ニール・ザスロー氏の書物の全訳に補足したり、日本における慣例に表現を変更されている。著作権上の問題から、原書に有る30点を超える図版の掲載は断念され、図版の説明になっている文章は省略されている。
この本の一般的なものと違うところは、『教会音楽』が最初の章となり、『協奏曲』、『交響曲』、『舞曲』、『室内楽曲』― これも、ピアノ伴奏家別の楽器かで章を分けている ― 。最後に『ピアノ独奏曲』となっている。ユニークですが、馴染みの少ない曲を先に読むことが出来るのが特徴で、著者の狙いだろう。
モーツァルトの音楽の重要さの中では、『交響曲』に割かれているページの規模は小さい。モーツァルトの『交響曲』の数は、研究者によって数字が違い。ケッヘルが最初に最後の交響曲『ジュピター』を第41番としたことが定着しすぎている。カール・ベームの交響曲全集は50曲以上録音しているし、60曲から70曲有るとするクリストファー・ホグウッドの交響曲全集のレコードも有る。
ニール・ザスローは『シンフォニー』と表記している。モーツァルトの初期のオペラの序曲は、3楽章形式で作曲された『シンフォニー』あるいは『シンフォニア』です。クリストファー・ホグウッドは、それも『交響曲』として全集に録音しているのです。この本を一般向けのガイドとするために、日本版では『交響曲』に変えてあります。
モーツァルトの手紙が引用されている箇所では、海老沢敏・高橋英郎訳の「モーツァルト書簡全集」全6巻の訳文を使用。楽曲の邦題は小学館の『モーツァルト全集』(これはオランダ・フィリップスのCD全集日本版に付けられたCD-ROMと同じ内容)や海老沢敏監修の『モーツァルト・アーカイヴ』に従っている。また音楽用語は、音楽之友社の『音楽中事典』に準じて変更されています。
モーツァルト書簡全集〈6〉ウィーン時代後期鍵盤楽器を主役にした協奏曲をドイツでは、総じて「クラヴィアとオーケストラの協奏曲」と表記しますが、日本では「ピアノ協奏曲」と表記するのが通例。クラヴィアにはハープシコードやオルガンも含まれるのですが、「ピアノ」として問題の無い箇所は原書の『クラヴィア』と書かれた箇所を『ピアノ』に。一概にピアノに限らない『クラヴィア』や、ピアノ以外の楽器に言及していれば『鍵盤楽器』の表記が使い分けられています。
その他、『ピアノ独奏曲』の章のニール・ザスロー氏の記述には、間違いも多い。全体的に通説で書かれているので日本でのモーツァルト研究では“古い説”とされている箇所がいくつかあります。
エッセイのように読みやすい全作品事典として、ニール・ザスロー氏の筆致は崩さないままに日本のモーツァルト研究者が多く参加して補筆したり、修正をしていて内容は『事典』として充実しています。
いや、句点の位置で意味することの範囲が違います。モーツァルトに限ったことではないけれども、作品の成立した時期が直筆楽譜に年月日の日付が入っていたりして明らかにできる時と、作曲家の手紙や日記で検討をつけている場合がありますね。
この本では、その点を明確に説明してありました。『1779年秋、』は1779年の秋であることが確かな時。『1779年、秋』は1779年であることは確かだが、本当に秋かははっきりしない時と。使い分けられています。この書き分けが他でもどれほど気遣いされているのか、今後、わたしが文章を書く時の心掛けにします。
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