ショパンの別れの曲は、出逢いを待ち焦がれている思いを込めて

日本でだけ、“別れの曲”の題名で親しまれている練習曲 作品10第3。1934年のフランス映画「 Le Chanson de L’adieu 」が日本で後悔された時に“別れの曲”の邦題が付いて、映画の中で繰り返し登場した曲をさして「映画“別れの曲”で聴いた音楽」が折々に紹介されていく途中で『別れの曲』とあたかもついていたかのようになってしまいました。

映画はショパンの悲しい生涯を扱ったものです。映画の物語の印象で弾かれるようになっていたものが、日本でのこの練習曲作品10の3の解釈を“お別れ”のイメージでと定着させてしまったのでしょう。ショパンは曲に題名をつけることを嫌っていました。わずか数曲は、ショパンが認めていた曲名もあるけれども出版社が勝手に“セーヌのさざめき=ノクターン作品9の2(米映画「愛情物語」のテーマ曲として使用されていた曲)”や“地獄の宴(うたげ)=スケルツォ第1番”などといた題名には露骨に嫌悪感を示し、友人に出版社に抗議するように手紙に厳しい表現で書いています。

ショパンは二十歳になる頃に1人でウィーンに出てきました。直後にワルシャワで革命が起こり、家族との交流が途絶えます。5年後にこっそりとチェコで両親に再会することが出来ましたが、その時分に作曲された1曲で、再開の後すぐあるだろう“別れ”の予感はあるものの、曲は出逢いを恋い焦がれる思いがこもっているとわたしは感じています。

今年NHKで生誕200年を記念して、みんなのショパン「わたしの好きなショパン」では投票が始まった頃は「幻想即興曲」が第1位独奏でしたけれども、「別れの曲」がいつしか第1位。ショパン生誕200年の今年、「別れの曲」の日本での演奏解釈に変化をもたらす転機の1年になったのではないでしょうか。

ちなみに映画の原題「Le Chanson de L’adieu」は直訳すれば「別れの歌」となるようです。

(高音質版)

こちらの記事もどうぞ