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ヴェルディ作曲 歌劇「椿姫」から | Classical Notes

ヴェルディ作曲 歌劇「椿姫」から

La Traviata Oil on wood 120 x 140 cm

薩摩藩の豹変(ひょうへん)

薩摩は公武合体派として会津との間に協調声明をしていたのに、突然、討幕(とうばく)派に豹変。長州に新式銃の融通をしている。それはやがて大政奉還(たいせいほうかん)(1867年)へ歴史を動かします。NHK大河ドラマ『八重の桜』の2013年4月14日、21日の放送で将軍家茂が病没し(1866年7月)、孝明天皇が崩御(同年12月)するまでが登場しました。

ドラマの中で勝海舟が象徴的なセリフを言っています。
「徳川幕府開闢(かいびゃく)から250年、大木に育ったが中にはむろがあちこち出来てしまっている。ペリーが来航している。目先を転じる時なのだ。」
ペリーの黒船が来航したのが1853,54年。歌劇『椿姫』は1853年に初演されました。作曲はオペラ王ジュゼッペ・ヴェルディ。1813年生まれで、今年生誕200年を祝います。歌劇『椿姫』は現在、オペラ十八番中の十八番として受容されています。一見大衆的なドラマと美しく解りやすい音楽で綴られているオペラともみえます。
確かに『椿姫』の音楽はヴェルディのオペラの中でも別格で、これほど多くのヒットナンバーが次々と登場するオペラも珍しい。前奏曲は第1幕、第3幕とも、オーケストラコンサートで良く演奏されます。《ああ、そは彼の人か》、《プロヴァンスの海と陸》、《過ぎし日よ、さようなら》といったアリア、《花から花へ》の夢の様な二重唱。それに《乾杯の歌》はオペラの合唱曲として親しまれています。耳馴染みのあるナンバーを順番に聞くだけで、歌劇のストーリー全体を追うことが出来るのは、モーツァルトの《フィガロの結婚》や《魔笛》、ビゼーの《カルメン》が思いつく。
しかも序(前奏)曲、アリア、重唱、合唱(、バレエ音楽)と歌劇の構成要素の全てにおいて、それらは単独でも演奏される機会の多い名曲揃い。中でも《椿姫》はドラマの流れが解りやすい、その本質は奥深いものですがオペラの聴き初めには持って来い。特にラストの悲劇性は日本の歌舞伎や、芝居に通じるところに親しみを感じさせるのでしょう。

椿姫は俺がオペラにする

音楽の良さと、ドキドキハラハラ、喜怒哀楽があって飽きさせないドラマ。そして劇場を出た後でも何か、人と人の在り方を考えたく成るものを心に残してくれる。ヴェルディは美しい音楽の娯楽性だけではなくドラマも重視した。

日本に黒船が来航した頃、ヨーロッパのオペラ界事情はベルカント・オペラの二大巨匠、ベッリーニとドニゼッティが世を去っていた。ロッシーニはフランスに住んでいましたが興味はオペラではなくレストラン経営に夢中。ヴェルディが世に出る時期が到来していたのです。《椿姫》を作曲した時は40歳で、劇場支配人や出版社にも発言力を持ち、自分の意志を通せるようになっていた。当時も今も、劇場が上演演目を決めています。作曲家はそれに合わせるしかありません。しかしヴェルディはパリで《椿姫》の芝居を観て、いたく心打たれてオペラ化すると決めます。

どうしても《椿姫》は自分がオペラにしなくちゃいけないんだ。そうした責任感、作曲意欲の充実期であったこと。神話や歴史物、王宮物の優雅な人物が登場して最後はめでたしめでたし、私たちが安心して生活できるのは王様の栄光があってこそもたらされるのです。ありがたや、ありがたやで終わるだけのオペラではなく、人間同士の真実性と、心ときめく良質な娯楽性をヴェルディは目指し音楽とドラマの合体を達成します。だから、ヴェルディのオペラは舞台で演じられる歴史ドラマの背景に詳しくなくても登場人物の気持ちは感じ取りやすいのです。

音楽とドラマの合体した新しいオペラ

人間の芸術を目指したオペラの誕生を理想としたヴェルディのオペラ改革。一方には芸術至上主義のヴァーグナーがいました。ふたりとも1813年生まれ、今年生誕200年を祝います。題材的にヴァーグナーは人間の非現実的な世界=神話やメルヘンを媒介として人間の姿=心理状態、気持ちが行ったり来たりする様を投影しようとしている。現実世界を題材として扱うことで、ヴェルディは自分のオペラを見た人がそれぞれに己を重ねあわせて解釈させることでドラマを身近に感じさせようとしたかったのかもしれない。オペラは男と女の愛憎と一緒に、家族像を描く。ストーリーは若い男女を中心だけど、父親像がヴェルディ、ヴァグナーともに存在を外せない。絵画の中に画家が自分の姿を書き入れることがあるように、オペラに登場する父親は作曲家自身であることが感じられる。

歌劇《椿姫》では、ひたすらヒロインに恋焦がれている若者。ヒロインは若者が『恋に盲目』状態だと何処かで感じてる。父親はそこを経験者として感じ取っているのか、表向きでは若者の妹の結婚話のさわりになると話を向け自分を敵にさせることでヒロインの心の(かせ)を除いてやろうとしている。

ヴェルディとヴァーグナーはイタリアとドイツでオペラ王と云われるようになります。ヴァーグナーの楽劇《ローエングリン》は1850年の初演で、歌劇《椿姫》は様式を踏まえた印象を・・・第一幕には特に感じます。互いに発表されるオペラには接していて、吸収できるものは吸収しあっています。ライバル意識を持っていたのはそれぞれの取り巻きである後援者や作曲家、ヴァーグナーの死後、ヴェルディが世に出した歌劇《オテロ》でのヴァーグナー路線に転向したような豹変は周囲を戸惑わせた。作曲の手法は違っていても、神話や歴史を伝えて何か教訓するのではなくて、ドラマを重視してオペラの中の人間を身近に感じさせ、娯楽性も要素として重視する。創りたかった目標は同じだったのです。

大政奉還・・・それまでのオペラの様式を解体したのは、ヴァーグナー。ヴェルディは薩摩藩の様だとするのはこじ付けがましいかもしれない。しかし、維新と日本の文化芸能が前後どう変化したかは結びつけて紹介されることがない。ヨーロッパの演劇や音楽は、かわら版的な位置づけでも有りました。

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